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 原発と放射能を学ぶ勉強会             2011年5月28日(土) [東日本大震災]

 きのうの午前中、おいものせなかで、原発と放射能を学ぶ勉強会を行いました。

 放射能に不安をもつ若いお母さんたちが盛岡や遠野から12組参加して、田中優さんの北上での講演会の映像を視聴してフリートークに入りました。

                放射能勉強会.jpg

 田中優さんの講演はとても分かりやすく、原発事故、放射能の影響や被爆のこと、電気料金のしくみ、自然エネルギーへの具体的な展望など、最後は希望が持てる内容でした。皆さん子どもをあやしながらも、熱心にメモをとったり、真剣に聞いていました。

 自己紹介でも、すでに知識や情報を得て放射能に気をつけている方は、食生活も味噌や醤油などの発酵食品を多くとるようにしたり、洗濯ものも外に干すのもためらっていました。

 これは最近入荷した、食生活から放射能対策に役に立つ情報の雑誌。24頁580円。

                  日本食が救う.jpg

 小出裕章 ・ 広瀬隆 ・ 田中優 ・ 飯山一郎 (敬称略) 各氏検索で原発情報が得られます。
 また、下記のブログもおすすめ。
 カナダde日本語 http://minnie111.blog40.fc2.com/
 和順庭の四季おりおり 5/27 http://wajuntei.dtiblog.com/

 下記は、参加者からの情報です。岩手でおそらく一番放射能の問題に詳しく、福島原発後も情報収集に奔走している永田文夫さんの原発勉強会です。6月22日(水)午前10時~盛岡いわて生協青山

                  永田.jpg
 

 放射能と自然エネルギーを学び語る会       2011年5月24日(火) [東日本大震災]

 お知らせです。うちのお客さまの企画です。

 以下、情報転載 

 こんにちは。風薫る季節、心地よい風も、目にみえないものに不安を感じてしまいますね。

 先日の北上で行われた田中優さんの講演会は、夜だったこともあり、小さなこどものいる私たちには、参加が難しく、残念に思っていました。

 今回、おいもさんのご協力により、主催者の方からDVDを貸していただき、みんなで講演会を聞き、その後情報交換しながらおしゃべりできる時間を企画しました。おしゃべりタイムでは、新田さんがアドバイザーになってくれます!普段なんとなく不安に感じていることや、『みんなどうしてる?』ということを、小さなことも、共有できたらと思っています。どうぞご参加くださいませ。

  『放射能と自然エネルギーを学び語る会』

  ・5月27日(金)10時~13時(自由解散)
      
  ・花巻 おいものせなかフリースペースにて

  ・参加費 500円(おいもさんの被災地支援資金に全額寄付します)

  ・持ち物 飲み物やお弁当
 
  ・申し込み 千田(前日までにお願いします。スペースが限られますので、お早めに)


 ー田中優さんのプロフィールー
1957年東京生まれ。未来バンク事業組合理事長、足元から地球温暖化を考える市民ネット理事。地域の足元からの活動と国際的な活動をリンクさせ、国内外の幅広いネットワークを利用し、講演・執筆・ネットワーキング活動等を通じて、平和・環境・持続可能な社会作りの活動をしている。
                                                   以上
 (*^_^*)おいもから・・・

 今回の企画は、月末に里帰り出産する前にぜひという方の要望を受けて、急きょ企画されました。
 おいもつながりの自然派ママたちが集います。お店は通常通り営業しています。


 おれ、見つかんねえ方がいかったー       2011年5月8日(日)  [東日本大震災]

 昨日のブログの、Oさんに今日内容の確認をしたら、若干の間違いがあり、訂正しました。
早く更新しなければと焦りもあって、失礼しました。よかったら、直した昨日分を読み直してくださいね。


 今日、陸前高田で被災した高田高校で教員の友人が震災後初めてお店に来てくれた。
5月2日から学校が始まった。1か月前に高田に会いに行った時に、ノートとペンがほしいと言っていたが、十分集まったという。その後の積もる話をあれこれ。

 大船渡教会に何回も支援に通っていたという、牧師のお客さんも来店して、話が盛り上がる。


 高田高校に、津波で太ーい松の木が根こそぎで何本も流れてきて、「一体どこの家からこんな太い松が来たのか!?」と言ってたら、他の先生が、「何言ってんの、高田松原の松だよ」と。
 
 高田高校は全壊、すべての生徒資料も流されて、先生ががれきの中から見つけた新2、3年生の成績表。泥を落として、全部パソコン入力して、3月25日の登校日に、「ここまで復元したよ!」と生徒に見せたら、生徒は、「せんせい、おれ、見つかんねえ方がよかったー」

 また、ちゃらんぽらんだった生徒も、震災後はまったく顔が変わったという。


 陸前高田の人たちは、平地が多く、壊滅といわれるが、ここにまた住みたいと言う人が多いという。
夏祭りの「けんか七夕」にかける市民は熱くて、こんな時でももしかして祭りをやるかもしれないねと。

 いまだに水道は復旧していない。電気、ガスもようやく最近通ったところもある。そんな中でも、高田の人たちは、すごい生きる力があるよねと。食糧とエネルギーは自給したいと宣言している人もいるとか。


 何にも失くなっても、いや、失くしたからこそなのか、つよくて、たくましいな。

  

 被災地で‘さんま隊‘ボランティア          2011年5月6日(金) [東日本大震災]

 今年のG.Wは、例年より遅い桜のおかげか、花巻は桜が満開でした。

 おいもの庭の木もやっと葉が出たと思ったら、早くもアメリカザイフリボク(ジューンベリー)が一番乗りに、可憐な白い十字の花を咲かせました。赤い、甘い実がなるんですが、高くて実が取れないうちに鳥に食べられちゃう。
                アメリカザイフリボク.jpg
 
 
 5月3日に、東京の古いおつきあいの取引先スタッフOさんが、はじめておいもにやってきました。
その1週間くらい前に、「GWにお店に行きたいし、被災地も行きたい」といろいろ聞いてきました。まだ交通手段も確保できてなかったけれど、私の「来て来て」という言葉に後押しされて、すぐ切符をとったとのこと。

 それから、えらいなあーと思ったのは、4日のたった一日のボランティアのために自分でいろいろ調べて、連休の混雑で受入れ団体も二転三転したけれど、何とか「遠野まごころネット」に決まり、寝袋かついで新幹線で。とにかくおいもを訪ねるのも目的だったというので、有難いことです。


 「今回は準備しているうちに、海外旅行みたいな気分になって(苦笑)。国内旅行だと大体スムーズにいくけど、今回は、ボランティアの受入れ先の状況が電話する度に変わって。行く前からまだ体制も整っていない被災地やその周りを感じました。でも電話しても、みなさん丁寧にお話してくれて疲労困憊の中なのに感服しました」


 遠野は沿岸被災地の拠点になっていて、宿泊施設はどこもいっぱいで、ボランティアに体育館を開放している。3日の夕方に入り、5時半から7時まで、約250人ほどのボランティアでミーティングがしっかり行われた。リーダー格の人も数日前に入ったボランティアで、実にしっかりとボランティアのシステムがなされているのに感心したそうだ。ちなみに男性は体育館、女性は畳の広間で快適だったけど、朝目が覚めたら、びっしりと寝ていてびっくりしたとか。

 翌朝バスで出発して、陸前高田に向かった。彼女はさんま隊といって、水産加工会社の冷凍倉庫から放り出されたさんまなどの海産物を、がれきの間から、ひとつひとつ手で(トングを使って)拾う作業だ。「足もみやマッサージなどもある、当日の挙手制で、私はせっかくだから現場に行きたい、見ておきたいという気持ちでさんま隊を選びました」
 
 防塵マスクを2重にしても、まだ匂うほどの異臭で、カッパにも染みつく。遠野で買った長靴は、更に中敷を買わないと、釘を踏んだりして危ない。「まだ、周りにアルバムや写真が落ちていたんです…」


 かなりがれきの撤去は進んでいるというが、まだまだで、人手はいくらあってもいい。でも、連休が終わると、ボランティアは激減する。「夜行バスもあるし、宮城だと日帰りボランティアバスもあるらしいし、また来てね」と私は言った。忘れられないためにも。そして、今度は岩手の温泉も楽しんでね。来てくれて、ありがとう。


 おいもの木は一斉に芽吹いて、若い葉がまぶしい。木々の葉でアラが隠せ、やっと外観が写せます。
 まわりはへんてつもない住宅街で、うちは少し異色かも。来てがっかりしないようにねー。

            
              店外観.jpg




 整然とした田老の避難所          2011年4月29日(金) [東日本大震災]

 先日、今年の春夏展示会が無事終わり、ホッとしました。いつもよりお客さまが少なかったけれど、楽しみに目指して来られた方もいて、有難かったです。実はまだ、ベルダの服を中心に展示しております。

 今ちょっと疲れが出てきて、ブログの更新も休んでいました。午前様になってしまうので。(-_-)/~~
 でも、19日の大槌の避難所の後に田老に行ったときのつづきを簡単にお伝えします。

 私が気になっていた田老町在住の黒田さんは、4月に入って連絡がとれ、無事を確認できたものの、家も車も流されて、3人の子どもと避難所に身を寄せていました。ようやく会いに行けて、何か支援したいと励ますつもりが、かえって、彼女のしっかりした様子に、こちらが励まされたくらいでした。自分は非力だ。

            黒田さん.jpg

 田老町は、防災の町として知られ、かつての大津波の経験から、10mものスーパー防波堤を要塞のようにぐるっと作っていましたが、それも今回の津波ではあっけなく壊されてしまいました。

 避難所は今、広いアリーナのような施設に集約され、各世帯に段ボールで仕切りができ、ワンフロアにイベントスペースや子どもルーム、勉強スペースなどがあり、整然としたきれいな感じでした。

            田老避難所.jpg

 田老には、タイマグラのフィールドノートの陽子さんや「タイマグラだより」のちほちゃんたちが、絵本を届けたり、子どもルームを整理したりに行ってたとのこと。その前に訪れた大槌の城山避難所を思い出すと、まだまだ雑然として大変な感じがしました。訪れた避難所もまだ3か所ですが、地域によって、運営する人によって、環境が随分ちがうなと思いました。

 帰りは吹雪で、一面雪景色です。桜も咲いている4月下旬というのに!
               雪景色.jpg

 避難所で体調を崩して、咳をしている人もいると聞いて、安士さんから頂いた蜂蜜で、喉にいい大根蜂蜜を
たくさん作って、蜂蜜と一緒にあげました。安士さんの貴重な蜂蜜はちゃんと届けたるからね!

               はちみつ.jpg

 花巻はいま、桜が満開です。今年は寒くて、例年より1週間以上遅いです。

 東京の取引先の若いスタッフの女性が、何ができるかわからないけど、連休に岩手に来たいと。
各地でボランティアセンターも色々あるし、でも気負わずに自分の目で見に来た方がいいです。

 これから被災地の復興に何かしたい、一緒に長く考えていきたい思ったら、今のうちにぜひ来てみて。

 釜石・大槌町へ、みぞれ雨          2011年4月23日(土)    [東日本大震災]

 先日19日の定休日に、釜石・大槌・田老に行ってきた。遠野を通って。

 私がはじめて遠野に行った時、日本の原風景のようで感動した。いま遠野は自衛隊やボランティアセンターなどの支援活動の拠点になっている。この日は寒く、みぞれまじりの雨で、峠を越えて釜石へ。           

               釜石へ.jpg

 釜石の中心商店街の全部の店の1階が全部浸水して、前の歩道はがれきの山の通りに茫然。
 
               釜石の店.jpg
 みんなは早く店や町を復興したいと思っても、そこで再建してもいいのか、危険区域でだめなのか分からず、被災住民も戸惑っているのが現状。

 釜石から30分の大槌へ。大槌町は陸前高田同様、町が壊滅的で、役場職員も幹部級がなくなった。      
 
            大槌.jpg

 大槌の目的は、避難所での人探し。やっと城山体育館避難所にいるわかって、ではせっかくだからと、「お産と地域医療を考える会」も関わる、「被災地妊産婦を花巻に受け入れ事業」のチラシを持って、紹介された山内医師と保険師に会って説明、懇談。

 そして、ずっと気にかけていた、「考える会」の会員で大槌町議の赤崎さんを探しました。いつもの居場所に本人はいなくて、朝出かけて夕方帰るという。役場の人に彼の携帯番号を聞き出そうとしても分からず、諦めるかなと廊下で立ってたら、目の前を涼しい顔で意気揚々とトイレに向かう赤崎さんに似た人が通って、ダメもとで声かけたら、本人でびっくり。偶然というか、不思議な縁。…でもよく考えたら、私携帯もってなかったけど。

 「おー新田さん、よく来てくれたね。さあさあ、僕の新居にどうぞ、案内しますよ」
 鍼灸治療院を30年以上営み、産科不在の大槌町で、女性の出産環境を改善したいと、7年前に新聞で当会の設立を知って連絡をくれた赤崎さんは、きっと町の復興に頑張っているだろうと思っていた。                   
            赤崎さん.jpg

 「あのね、新築した家に7年だけ住んで、全部流されてローンだけ残ったよー」と言って、「夢はね、大槌に日本一の老人ホームを作って、お年寄りも若い人も町に来るようにしたいんだ」。吊るしびなで有名な奥さんは関東の娘さんのもとへやり、単身残って4期目の町議選に賭ける、復興への想いを語りました。69歳、めげずに元気です。

 避難所をから大槌を走っていて、偶然出会ったかの有名な光景。民宿の上に観光船「はまゆり」。手前の朱色の柱は、なんと神社の鳥居だった。
                はまゆり.jpg

 大槌から北の田老町へは、2時間近くも。桜の季節なのに、気温1~2度!雪がふぶいてきた。         
            田老へ.jpg つづく

 きのうから、春夏展示会やっています。日曜日も営業です。どうぞ、いらしてください。

 被災地の様子~陸前高田市 その2        2011年4月16日(土) [東日本大震災]

 福島原発事故が、最悪のレベル7になった。風向きによっては、海流によっても、日本のどこにいても放射能の不安に怯えるような事態なのに、日本人は怒らない、反対しない、どこか平和ボケしている。

 いま、原発の方が、津波で壊滅した町、被災した人々のことよりも多く報道され、忘れ去られていくのもこわい。現地に近く、被災地の復興を願う私にできることは、伝えることかなと感じはじめている。

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 4階まで津波に襲われ全滅の県立高田病院。100人あまりが屋上に避難し、翌日ヘリコプターで救助されるまでの雪が舞う寒い一夜を、紙や棚を燃やして暖をとった。定年直前の事務局長は命をかけて衛星電話を守り、院長は13日からコミュニティセンターで診療を開始し、地域医療の灯を守ろうと自らも被災しながら不眠不休で働く医師、看護師たち。病院前のがれきの山はかなり片づけられていた。

          体育館.jpg
 友人いわく、1~2年前にできたばかりの体育館(?)だったかな。指定避難所である体育館に避難した100人以上のうち、助かったのは数名だけ・・・。

 友人が前にいた避難所を訪ねた。体育館にざこねかと思ったら、キャンプ用テントが屋内にたくさん張ってあり、プライバシーは守られていた。ご飯作りも掃除も被災した人々で当番を決めて行う、自主・自立の精神の避難所であった。120人くらいの規模だからできるけれど、一番大きい600人もいる避難所では無理だろう。別の避難所ではみそ汁とおかゆだけで、子どもたちが栄養不足という声も。

 その駐車場で声をかけられ、金ヶ崎町のNちゃんにばったり、「なんでいるのー!?」2トントラックを友人に借りて支援物資を届けに来ていた。私もNちゃんも野菜をいっぱい買ってきたのでダブってしまったかな?

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 いつもはおっとりしている彼女が、被災者の友人に「必要なものは何ですか?」と聞いててきぱきとメモする。小さい子どもがいるのに、夫と二人で頑張っているのに感心しきり。この後に自宅避難所に行くというのでついていった。

  徳山さん.jpg  お人形.jpg Tさんは、自宅の周辺14世帯のまとめ役として、市の情報を窓に掲示し、支援物資や食糧を世帯人数分に分けているという。断水は依然続き、陸前高田市はライフラインがひとつでも欠けると、自宅があっても配給している。市街地が壊滅で店もほとんどない。

 アルバムを見せて、作品を見せてくれたTさん。人形作りを教えていたが、お店は流され、「生地があればボランティアさんに作ってあげたいんだけど」と、ちりめんや正絹のハギレがほしいと言っていた。

 陸前高田市は被害が一番大きい市だが、奥さんが行方不明の市長が頑張っていて、いち早く仮設住宅もできたという。避難所も自主的運営ができるかどうかは、トップに立ってリードする人によるという。

 避難所の格差が問題になりはじめ、自宅避難所は大丈夫かとはじめて訪れた今回は、環境のいい避難所の様子を垣間見ただけだった。

 でも、遠くから手探りしていた気持ちが一歩前に踏み出して、また足を運びたい、今度は現地の人ともっと出会いたいなと・・・。思いきって行ってよかった。

 
 

 初めての被災地ー陸前高田市        2011年4月14日(木) [東日本大震災]

 一昨日、陸前高田に行ってきた。その3日前に、ずっと心配していた友人とやっと連絡とれたので。

 彼女は高校の教員で、3月11日は翌日の大学入試を受ける生徒に、午前中に来るようにと言っていたのに、生徒が来たのが午後1時。それから志望動機がーとか面接練習をもう一度とかで、ずるずる延びて「もう帰りなさい」と言っていたところに地震が来た。彼女の家は流された。

 もしその生徒が時間通りに来ていたら、彼女は午後3時には市役所に行く予定だったので、「私はもういなかっただろう」と。本当に生きててよかった。市役所は水没し、職員の1/3~半数は亡くなった。

 電話で、「何か必要なもの、不足しているものはない?」と聞いて、すぐにでも届けたい気持ちだ。
 震災から1ヶ月がたち、物資支援をしながら、被災地に行きたいが何をしていいのか、被災者に迷惑でないのかと遠慮もあって、「軽い気持ちでは行けない」と自分でセーブして、ジレンマを感じていた。

 そんな悩んでた話をしたら、彼女は、「家を流された同僚が盛岡に買物に出た時に、友人に『津波こわかったー』と言ったら、『ああ、そう』という反応ですっごくショックを受けたんだって」

 「見に来てほしい。内陸の人は、それが任務のようなものだと思う。・・・あまり考えすぎずに、まっさらな気持ちで。足が震えるかもしれないよ」

 彼女が案内してくれるというので、やっと意を決し、夫に運転をお願いして、大船渡・陸前高田へ。

              住田.jpg
 沿岸部に向かう峠の山々はぼわーと薄桃色で、穏やかな春の山。これから行くところが正直こわい。

 いよいよ陸前高田に入る・・・。

            アパート.jpg
 市営住宅。3階まで部屋の中が筒抜けで家具も何にもなく、反対側が丸見え。衝撃の大きさに唖然。

        高田高校.jpg
 高校。指定避難場所に一旦逃げたが、直感的にやばいと思い、裏山に避難して助かった。校舎の右側に渡り廊下でつながっていた体育館がぶつかっている。その奥が裏山。校庭はがれきの山だったが、大分片づけられた。

        マイヤ.jpg
 スーパー。3階まで空洞、鉄骨にぼろ布が巻きついて風にはためきぞっとする光景。
屋上非難者は助かった。
もうひとつのスーパーでは、「大きな地震が来たら、車を置いて逃げろ」の店長指示で全員助かった。

        高田風景.jpg
 ここに商店街があり、市役所があり、病院があった町の中心部。今は、あったことさえ信じられないほど、何もない。がれきと海の砂。まるで、爆撃を受けた戦場の跡地のよう・・・。

 つづき
 

 被災地を忘れ去られないように      2011年4月11日(月) [東日本大震災]

 今日であのおそろしい大震災から1ヶ月。3.11を境に変わった。時計の針を元に戻してほしい。

 先日ゆいっこの物資受付中止のことを書いて、せっかく物資を送って下さった皆様にご心配かけました。

 それでは直接必要なところに届けたいと、ネパリ・バザーロ土屋さんのご紹介で、石巻市の方に送りました。石巻市は、人口16万人のうち11万人が被災され、自宅避難者は5万人。岩手もそうですが、避難所と自宅避難所の格差が激しく、自宅避難者は食糧も物資も何もかもないと、自宅被災者のSさんは話していました。

 ネパリ・バザーロのブログで、横浜から3週間続けて必要な支援物資を直接届けた、石巻の様子を伝えています。http://nbazaro.org/wordpress/

 
 昨日東和町で、震災直後から1ヶ月間、被災地へ緊急支援物資を毎日届バイオ・ディーゼル・アドベンチャーの山田周生さんの「現地支援活動報告&フリートーク(私たちにできること)」がありました。

 参加者26名、大体見知った顔ぶれですが、ふだんから有機的な仕事や生活をしている人たちは、それぞれの支援活動の中で、これからどのように支援したら…模索しているようでした。

 印象に残った言葉が、「被災者が一番怖いのは忘れ去られること」
 大船渡が実家の方が言葉を詰まらせて言いました。
 「復興は必ずできるのはわかるが、被災者は両脇を抱えてもらわないと立ち上がれない」


 今は緊急支援ですぐに物資も義援金も集まるけれど…。だんだんに忘れ去られてしまわないように、復興しようという気持ちを持ち続けるために、・・・どうすればいいのだろう。


 面白くタメになる?映画とアニメ          2011年4月10日(日) [東日本大震災]

 昨日、ブログを見た関西の友人から、「ここまでひどかったなんて!」と、興奮して電話があった。
 「どうしよう!どうしたらいい?」と、いつもは元気に地域で活動している彼女が動揺し、憤慨している。

 問題は、国は、本当のことを知らせない、都合の悪い情報は排除する、国民の生活よりも経済が優先する、国民があまり賢くなってもらっては困る、ということ。かなしいけれど、それが現実。
 
 つたない頭と感覚で、ふだん感じていることを伝えた。

 新聞やテレビの情報だけをうのみにせず、そこでは決して報道されない、モラルあるジャーナリストや学者たちの真の情報(一部の週刊誌やネットなど)で大事だと思うことを、まわりに伝えること。

 「いやだ、おかしい」と思う政策には、「いやだけど、しかたない」でなく、「NO!」と反対の意志表明すること。それは、原発だけでなく、福祉や環境や消費税などすべてにおいて。

 今日も東京や青森で反原発のデモや集会が行われているが全く報道されない。

 ロイターのネット署名でもいい、世論を巻き起こすことも必要。
 
 無関心はYESということ。一人一人の意識と行動が世の中を変えていけると思う。

 
 とてもわかりやすい映画(キャストがなかなかすごい)と、京大助教授の小出裕章氏の講義と
それに基づいたアニメを見つけた。それぞれ10分くらい。ぜひ、見てみて。

 「和順庭の四季おりおり 4/7」http://wajuntei.dtiblog.com/

 
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