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 おいものせなかだより10月   2017年10月15日(日) [おいものせなか通信]

通信10月.jpg

 ウラ面 

 戦争に行かないで、選挙に行こう!   
                             2017.10.14

  先月、安倍首相が突然の解散総選挙を宣言した。なぜ今なのか、わからな
 かった。選挙は莫大な費用がかかるというのに、いとも簡単に首相の考えで
 決定されるのか。そう思うと、昨年の安保法案、戦争法案と呼ばれる憲法違反
 の法を、憲法学者や国民の過半数の反対の声を無視して強行採決したように、
 戦争も首相の権限でいとも簡単に日本を(米国の)戦争に巻き込むのかもしれ
 ないと思うと、そら怖ろしくなる。

  なぜ、突然の解散か。安倍首相の森友・加計問題の不祥事を隠蔽しようと
 いう目的と、北朝鮮のミサイル発射の過剰反応で国民の不安を煽っておいて
 (これも宇宙空間ほど高度へ発射らしく、日本だけが大騒ぎとか)、だから武装が
 必要だと改憲に持ち込もうという思惑が見える。事実、自民党は今度の選挙で
 改憲を公約。首相の自信満々の解散総選挙だったが、小池百合子東京都知事の
 新党結成で暗雲が。その「希望の党」は、原発ゼロ、消費税増税は延期、待機
 児童ゼロと、一見庶民が喜びそうな公約を並べるが、しかし狙いは改憲である。

  民主党を150億円の持参金付きで取り込み、民主党の中でリベラル派(改憲
 に反対)を排除すると言い、安保法案や改憲に賛成する新党の政策協定書に署名
 せよと、どこの時代の踏み絵か。自民党と何ら変わらず、自民党の補完勢力で、
 いずれ一緒に改憲を通すのは目に見えている。(大体、そんな政治資金があった
 とは。選挙費用~衆院選1回で約650億円~も含め、その税金を被災地や福島
 などで生活に苦しんでいる人たちを助ければいいのに!)

 「小池はやばい、安倍よりも独裁者になる」という懸念の声も聞こえる。奇しくも、
 2005年に総務省が作った選挙啓発短編映画(20分)が、「希望の党が独裁政権に!
 投票に3回行かないと死刑、娘は徴兵制で戦場へ」 と、なんと同名で現代を予告
 していたかのような内容が不気味である。  

  選挙で選ばれた政治家で、国の方針が決まる。国際社会の対応や、私たちの生活
 にも大きく影響を与えるのが国政である。だからこそ、どこに投票しても変わらない
 とか、投票するところがないと棄権せずに、しっかり公約を見て、選ぶことが重要だ。
 棄権は大勢にYESである。

 「戦争と私たちの国が戦争の準備を進めることに反対します」と明言するフォト
 ジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの10月号は、沖縄特集。沖縄の絶滅
 危惧種262種が生きる貴重な自然豊かな海が、辺野古の新基地建設で埋め立て
 られ破壊されることを伝えている。
  「海は、生命の根源です。だから人間のおごりで自然を壊せば、いつかは自然
 にやられるんじゃないかと私は思うんです。海を破壊して基地を造ろうなんて。
 まして破壊の最たるものは戦争ですよ。それに加担するようなことをしたら、
 いつか自分たちの首を絞めることになるのではないでしょうか」と、新基地
 反対の座り込みに参加した男性。米軍基地の前で反対を訴えて毎日座り込みを
 続ける島袋文子さん(88歳)。その文子おばぁが参議院議員会館での講演
 「辺野古の“文子おばぁ”がやってくる!」の記事も必見。
 
 「70年前の戦争で、食べるものも何もない、飲む水もない、私は生きるために、
 死んだ人間の血を混じった泥水を飲んで生きてきたものです。(中略)だからね、
 私は安倍さんに、そんなにまで戦争がきる国を作るのだったら、あなたは死んだ
 人間の血が混じった泥水を飲んできてからやれと言いたいんです。それだけは
 言いたい」
 「憲法九条をなくすなんてとんでもないことです。九条があったからこそ今まで
 戦争をしなくて皆さん生きているんじゃないですか?私たちは二度と戦争はやって
 はいけないと思っているんです。ですから、命を懸けて、(米軍キャンプの)
 ゲート前に座っているんです。家庭も何もかも犠牲にして、毎日あのゲート前で
 座って、機動隊にごぼう抜きされて排除されて(略)頭を打って救急車で2回も
 運ばれて…。けれど、基地を止めない限り、私は死んではいけないと思っています」
 「自分の子どもや孫の命を守るためだったら、どこの国にも基地はおいてはいけ
 ないです。基地があるゆえに、戦争は起きるんですから」

 かつて沖縄の米軍基地から米軍機がベトナム戦争やイラク戦争などに向かった。
 海からも陸からも爆弾を自由に積めて軍事力が強化される巨大な米軍の新基地から、
 またどこかの戦場に向かうのだろうか。それも、新基地建設のための費用は日本の
 税金で賄われるのだ。私たちが納めた税金が、生命の海を壊し、どこかの国の女性
 や子どもたちをも殺しに行くために使われる。それを、黙ってみていていいのだろうか。

  安倍首相は、「北朝鮮に、対話でなく武力で抵抗する」という言葉に耳を疑った。
 武力では解決しないどころか、核戦争に発展する怖れがある。日本は原発大国で、
 原発が狙われたら広島や福島の比ではない。日本は唯一の被爆国なのに、核兵器
 禁止条約に同意しない。米国が反対しているから。米国は以前沖縄に大量の核兵器
 を配備。戦争になれば、米国は日本を守らないと専門家は言う。もう米国のポチ
 より国民を向いて。
 
  昨年おいものお話会に招いた三田照子さんは、100歳を前に春に天寿を全う
 された。人々の幸せを願い、過酷な戦争体験を語り、文章を書き続けた。
 「私共は、何があっても戦争だけはしてはならない。戦争ほど全ての人を不幸にし、
 悲しませるものはない」(花巻協会だより)と、最後の一文。

  昨年の安保法案で、南スーダンへの派遣から戻った自衛隊員が自殺した。政府は
 安全地域というが、マスコミも真実を公表しない。厳しい紛争地域だったと想像
 される。米国では、イラク戦争やアフガン戦争からの退役兵士がPTSD(心的外
 傷後ストレス障害)で戦場の記憶に苦しみ続け、年間8000人が自殺している
 (DAYS 8月号)。日本が72年間戦争をしないで来たのは、戦争放棄の憲法
 九条があったから。それで各国からの信頼もあったが、改憲し、米国の基地がある
 以上、海外でも国内でも日本人がテロの標的になりうる。NGОやジャーナリスト
 も危険にさらされる。
  
  10月22日の衆議院議員選挙で、一番の争点は改憲問題である。よく考えて、
 投票に行こう。そして、命をかけてあたりまえの暮らしを守ろうと闘っている人の
 話を聞き、国の政策の何が問題なのかを知ろう。11月24日・25日、沖縄平和
 運動センターの山城博治さんが岩手に来る。山城さんはステージ4の癌の病を抱え
 ながら、5ヶ月間不当拘留され、全国を講演に奔走する。(DAYS6月号) 沖縄
 に、日本の問題が凝縮されている。



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 おいものせなかだより9月   2017年9月1日(金) [おいものせなか通信]

9通信.jpg

おいもだより裏面エッセイ

      オキナワって、どんなトコ?
                            2017.9.1

  きれいな海、のんびり南国というイメージの沖縄が、数年前に観た映画
 「標的の村」(2013)で、目からウロコだった。米軍基地の問題は何となく
 感じていたが、沖縄の住民の生活を脅かす新基地建設に反対する住民をま
 るで障害物のように強制排除する国と警察。ショックだった。

  ここまで沖縄の人たちが苦しんでいることを知らなかった。本当は、自分
 たちの問題なのに…。映画監督の三上智恵さんは、その後も沖縄の問題を
 ドキュメンタリー映画で製作して、映像で訴えている。今年多くの反対の声
 を無視して強行採決された共謀罪は、一番先に沖縄の住民の反対運動を封じ
 込めるために使われるだろうと聞いた。

  今年の報道の自由度が、日本は年々順位を下げて世界で72位。今は、国が
 戦争に向かって暴走しても反対の声を言えない、言わせない戦前のようだとも。
 私たちは沖縄の基地の問題に無関心すぎると感じた。やっと念願の沖縄の勉強
 会を企画した。でも、予想以上の反応の鈍さに、心が折れそうになった。それ
 でも絶対いいお話だからと、あきらめずに声をかけて、なんと15名の方が。感謝(涙)。

  講師の中原眞澄さんは、盛岡内丸教会の牧師さん。講演資料も素晴らしく、
 かつて琉球国といわれた沖縄の成り立ちから、沖縄の米軍基地の問題について
 反対を声高に訴えるのでなく、歴史的事実を淡々と話されて圧倒された。参加
 者からは意見や質問が飛びかい、「結局、私たちができる一番の方法は、選挙
 の投票です」と、何度も強調された方が印象的だった。

 〈講演の概要〉
  日本の国土面積の0.6%、人口が約1%しかない沖縄県に、在日米軍基地(軍用
 施設)の約70%がある。1945年の沖縄戦では、本土を守る捨石作戦として沖縄で
 徹底的持久戦に持ち込み、住民9万4千人を含む約20万人が犠牲になった。(住民
 の4人に1人が犠牲)

  敗戦後の占領期に、本土は日本政府を介した間接統治、沖縄は米国の直接統治
 で米軍軍政期(1945~72)に、平坦で適した土地を強制的に接収(「銃剣とブルドー
 ザー」=軍事国際法違反)したもので、全住民を収容所にほぼ1年間収容し、その
 間に土地を取り上げ、基地を建設した。1952年に日本が米国から独立した後も、
 沖縄を含む南西諸島は米国統治下で、住民は無国籍。日本はすすんで沖縄を差し
 出して、基地面積は返還までにほぼ倍増。
  
  1972年、「基地抜き」「本土並み」で「平和憲法」下の日本への復帰を願った
 沖縄の願いは完全に無視された。「核抜き・本土並み」と政府は言ったが、米軍
 基地とその自由使用権は温存。有事の際の核兵器再持込み、現状回復費約12億円
 も日本が肩代わりの密約を交わしての返還だった。

  沖縄に対する構造的差別は明治維新の頃から。明治維新時に琉球国を併合した
 「琉球処分」に始まり,本土防衛の捨て石とした沖縄戦から本土復帰に至る数次
 の「琉球処分」が繰りかえされた。

  また、沖縄と他県との二重基準も。普天間飛行場(沖縄戦最中に米陸軍が村の中
 心地に建設)は周囲に民家が密集していて、「世界一危険な基地」と言われている。
 今、辺野古に新基地建設の問題は、「普天間の危険除去」目的というが、普天間
 から直線距離で36㎞しかなく、軍艦の接岸も可能になり、基地機能は一層強化され、
 将来へ長期にわたる米軍基地の固定化だ。沖縄県民の80%以上が反対しているのに、
 政府は聞き入れない。辺野古移設まで、佐賀空港をオスプレイ(事故の多い欠陥機)
 が暫定使用の案を政府が提案したが、地元の支持を得られないと撤回。えー、沖縄
 の声を無視して、他県の反対は聞く?そして、諸外国と比較しても、突出した日本
 の米軍基地負担。韓国、ドイツ、イタリアは30~40%なのに、日本は約74.5%も! 
                         
                               (以上、概要)

  「ザ・思いやり」という映画がある。1978年から始まった、当時の防衛長官
 ・金丸信が、在日米軍基地の負担を軽くするために日本が経費を負担する「思い
 やり予算」。米国との条約には一切義務付けられていない「思いやり予算」は、
 日本人が働いて支払っている税金から、これまで6兆円以上が投入されてきた。
 (2015年の米軍駐留経費に8911億円) 米軍一人当たり年間1500万円という額。

  在日米軍家族のための住宅、学校、教会、銀行、ゴルフ場、マクドナルドなど
 の施設に。電気、水道、ガス料金は使い放題、遊びでも有料道路料金がすべてタダ。
 米兵による凶悪・暴行事件の賠償金にも使われている。なぜ日本人がここまで米軍
 を思いやらなければならないのか?米兵が思いやり予算によって建てられた160
 平米の住宅に暮らす中、東日本大震災の被災者は未だに30平米の仮設住宅での
 生活を強いられているというのに。

  先日は北朝鮮のミサイル発射騒動で、朝から警報やTV全局で報道は異常だった。
 韓国でも米国でもほとんどニュースになっていないとか。不安を煽って、だから
 米軍基地が必要だ、軍備増強だ、イージス・アショアという1基800億円もする
 ミサイル迎撃システムを複数基、米国から購入決定を正当化するためなのかと思っ
 てしまう。防衛費は年々うなぎ上りに増え、今年も5兆円を超すらしい。

  米国の戦争に加担するために使う膨大なお金を、まず震災や台風の被災者の復興
 に、若者や高齢者の貧困など、本当に必要なところに税金を使ってほしいのだ。

  中原さんは、3・11の震災の時に、東北が差別されていることを感じた。
 そして何度も通ってきた沖縄が、いかに差別されてきたかに初めて気づいたという。
 大事なことは、沖縄の問題をよそ事と思わず、自分の問題として受け止める想像力、
 そして人間としての共感力を持つこと。また、政治的なことに関して、何が問題な
 のか、どう考えるのかを問い、話すことが、市民としての義務であり責任であると
 いう言葉に、頷いた。
                              
                                  新田ぶん

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 おいものせなかだより8月    2017年8月2日(水) [おいものせなか通信]

8月おいも.jpg

おいもだよりウラ面

           「菊次郎」から「沖縄」へ
                               2017.8.1

  ドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳」の上映会が
 無事に終了した。昨年から、おいもカフェで映画の自主上映会を始めて3回目。ちょう
 ど1年前の「広河隆一 人間の戦場」と同じ長谷川三郎監督の作品である。


  私は、実は福島菊次郎という人を知らなかった。フォトジャーナリズム雑誌「DAYS      JAPAN」が、多くが絶版になっている彼の12冊の写真集からの作品をまとめた13冊
 目を、2013年に出版するときに賛同協力者を募っていた。「DAYS」を応援している
 から予約購入した。が、届いてカフェの特別席に置いといて、よく見ていなかった。

  2015年の秋、仕事で上京した時に、たまたま「ニッポンの嘘」の追悼上映を知った。
 その日は偶然にも監督トークがある日だった。これも何かの縁だと観て、あらためて
 福島菊次郎のすごさに感動した。また監督が優しそうだったので、上映後に勇気を出し
 て、「岩手から来ました」と声をかけた後に、「花巻でも上映したいです!」と、自分で
 もびっくりする言葉が口をついて出た。監督は、「都合が合えば、ぜひ伺いたいです」
 と嬉しそう。言ってしまったからには、やるしかない。一人で自主上映なんてやった
 ことないのに。勢いでというのは、怖いもの知らずでオソロシイ。結婚で痛感(^_^;)。
 一方で、私の直感は間違ってなかったと思うことも、よくあるが。

  そして昨年の予定が、同監督の最新作「人間の戦場」を、7月の参議院議員選挙の前
 に伝えたいと先に上映した。こちらは、「DAYS JAPAN」の発行人のフォトジャーナリ
 スト広河隆一さんを撮った映画。この時も今回も、採算に不安はあったが、何とか頑張
 るしかない。
  上映3日前においも初の山ぶどうワイン会のイベントがあり、片手で料理の準備、片
 手で映画の宣伝。まだ満席ならず。そんな中、年に一度の梅干し用完熟梅の収穫が決ま
 り、数十人もの予約客に急きょの電話連絡。ワイン→梅→映画。ひどい、いや今までに
 ない濃密・怒涛の数日間。結果、ワイン会も大好評、梅も合間の2日間で皆さん受け取
 りに来て、映画は満席。はあ~よかった。後日1週間くらいフヌケになっていたが。

  自前劇場のドタバタの話題。まず真夏の上映なのに、エアコンがない。元々倉庫で涼
 しいとはいえ、暗幕で閉め切った空間だ。ふだん使わない扇風機を新たに買って、うち
 わもあるよとすすめ、冷水器を置いた。蚊は、逃げていったカ?映写はパソコンを新し
 くしたので大丈夫と楽観していたら、映らない!?ストレスMaxで悪戦苦闘してる時に、
 機械苦手な夫に、「なんでできないんだあ」と言われると、頭にとうふでも投げつけた
 くなった。設備のある会場を使わずにやるということは、リスクや苦労があるのだと
 痛感。でも、不便さを工夫するのも、また楽しいか。

  そして、今年はついに監督をゲストに。はじめは6月に上映を行う予定だった。
 監督はドキュメンタリーの仕事で都合が悪く、7月中旬以降ならと言われたが、暑さや
 7月のハードなうちの予定を考えて、やはり6月ですと。監督は残念そうだった。
 だが、準備が今イチ進まない。何を一番優先するのか、どうしたいのかを考え直した。
 映画も監督も一期一会。日程を白紙に戻して、監督の都合に合わせた。それでよかった。
 
  監督のトークでいろいろな話も聞けて、面白かった。「菊次郎さんの生活が素敵で、
 そこもまた伝えたいと思った」と。国からの年金を拒否して、権力と闘う一貫した姿勢
 と、料理も洗濯も淡々とこなす、愛犬との一人暮らし。食生活を大事にし、監督がペット
 ボトルの飲み物やコンビニ弁当を買っていくと怒られたという。「食の自立が人の生活
 の基本だと。そこはここのお店と同じですね」と、監督が言ってくれたのもうれしい。

  〈上映後のアンケートから〉

  「自分はのほほんと生きているのだな、平和ボケだったなと思った。この国には
  知らずに過ごしている事が本当にたくさんあるんだと教えてもらった。(略)
  大切なのは、我々が菊次郎さんのような精神、視点を引き継いでいくことであろう。
  今日は本当に目から鱗が落ちる思いでした」

  「苦しい厳しいテーマですが、菊次郎さんの豊かな人間性とチャーミングな部分を
  人間味あふれるタッチで描いて下さった、長谷川監督に感謝です。(略)
  菊次郎さんのような方々が、今まで日本を守り抜いてきて下さったと。私たちも
  その思いを胸に、厳しい日本を生きていきたいものです」

  「映画を観ながら、何もしない自分を思わざるを得ず、ごめんなさいの気持ちと、
  こういう方がいて下さったことへの有難うの気持ちで祈っていました。
  民衆が命と生活を守るための戦いが国家権力によって踏みにじられ続けてきたこと。
  戦中も戦後も根本的には変わっていないこと、今の国政と通じていると感じました」


  上映数日後に来店した常連さんと、映画の話題に。「自分は何もしないで、ただ年を
 重ねてきた。何もできなくて、むなしい」と言われる。いやいや、その方はうちでお買
 物をし、イベントにも参加する向学心旺盛な方。それだけでも十分すごい。それでいい
 商品をつくる人が支えられ、うちのような店もやっていける。何も大きな行動を起こさ
 なくても、意識して生活する毎日も大事だと思う。そして選挙では、国民の生活を大事
 にしない政党には、NOと意思表示することを。

 「無知であることは罪なの。僕がそうだったから、よくわかる」と、菊次郎は言ったと
 いう。

  菊次郎は、「いま日本は戦前なんだ」と、日本の行く末を心配していた。嘘で塗り固
 められた見せかけの平和。「自分は負け続けてきた」と。私も負け続けてきたか。だが、
 彼はあきらめないで、カメラを持てなくなった晩年も、自分の記憶の中の「写らなかっ
 た戦後」を執筆していた。

  菊次郎の余韻も冷めやらないまま、今度沖縄の勉強会をやります。私が今の沖縄の
 ことを知ったのは、やはりドキュメンタリー映画だった。ショックだった。テレビや
 新聞では伝えない、沖縄の人々の現実。私たちの安全な暮らしは、沖縄の負担の上に
 成り立っている?私は勉強不足、無知なので、また心と頭がシャッフルされるだろう。
 
 映画も講演も、時間をかけてつくられたものには、わざわざ出かけて五感で感じよう。


  

 おいものせなかだより₅と6月    2017年5月29日(月) [おいものせなか通信]

  通信がやっとできました!6月号なのに早めに出せたというか、5月号も兼ねて
 となると、遅すぎーですが、あと3日あるじゃん(笑)、だから₅と控えめにしたの。

つうしん.jpg

  おいものせなかだより 裏面

        フェアトレード・ファッションって、なに?

  「やはり、あの映画を観て、考えさせられました。中学生の娘にと、先日の展示
 会で買ったTシャツを着心地がいいのかすごく気に入ってくれ毎日着てて、ヘビー
 ローテーションです」と笑うのは、フェアトレードの服を職場でも愛用しているМさん。

  映画は、昨年5月のフェアトレード月間に、おいものせなかで上映した映画「ザ・
 トゥルー・コスト(真の代償)」のこと。大量生産・大量消費・大量廃棄のファスト
 ファッション(※)の裏側を取材し、安くてすぐに捨てられる服の生産が、作る人や環境
 にどれだけ影響を与えているかの衝撃的な内容だった。

  「ものすごく驚いています。発展途上国で衣類の仕事をしていることは、そこの
 人達が裕福になっていると思っていました。ショックでした。もっともっとみんなが
 知るべきだと思いました」(映画のアンケートより)

  バングラデシュの低賃金の縫製工場のビル倒壊で数千人が犠牲に。カンボジアで
 最低賃金の改善を求める女子工員に…。米国で売れない大量の古着がハイチに寄付
 された末に、地元の服飾産業が消えた。世界は今ファストファッションが主流に。

  しかし、その背景にあるのは、労働者の健康被害、水汚染、教育や医療を受けられ
 ない低賃金労働など。私たちが日常買う服の、本当の代償は何か?
 「もしあなたがもう少しお金を払ってくれれば、私たちの暮しも少し良くなるので
 しょう」とバングラデシュの縫製工場で働く25歳の女性。

  ではどれだけ高くなると、彼らは食べていけるのか。世界4000万人の衣服労働
 者のうち、バングラデシュに400万人。バングラデシュの最低賃金は2010年に
 ようやく月額3000タカ(約2900円)に引き上げられ、その前の10年間は1660
 タカ(約1600円)。できれば最低賃金が5000タカに保障されてほしい。そうすると、
 先進国で2500円で売られているジーンズの価格が100円上がるだけ!?

  「映画は想像以上に驚く内容でした。知っていたつもりでも、改めて映像として
 実際に見ることで意識が変わりました。まずは、知ることが本当に大切だと感じま
 した。服や食べ物を選ぶ、ひとつひとつ自分の行動が世界につながっていて、政治
 的な意思表示にもなり、自分の発言になっているんだなと。日々の自分にできること
 を小さなことからでも少しずつやっていこうと思いました」(映画のアンケート)

  映画はファッション業界の影を描くだけでなく、解決方法のひとつとして、日本の
 フェアトレード・ファッションの活動も取材した。また、映画の後にフェアトレード
 団体ピープルツリーの胤森なお子さんの講演会を行ったことで、映画への理解も深ま
 ったようだ。
  
  弱い立場が搾取されるような状況は、ファッション業界だけでなく、すべての分野
 で起こっている。途上国に安く外注していけば、国内の産業は消えていく。自分の消費
 が与える影響と責任を考えてみようと、映画は私たちに問いかけている。
  
      ※ファスト・ファッション~“早くて安い”ファストフードになぞらえた言葉。
        日本人の衣類の45%がファスト・ファッションというデータも。
 
 
  フェアトレード・ファッションとは、世界でも日本の団体が独自に開発してきたもの。    1940年代にイギリスで始まったフェアトレードの活動は、かつて植民地にしていた
 発展途上国の貧困改善と自立支援のために、現地で生産されたコーヒーや紅茶、手工芸
 品を適正価格で購入し、「お買物で国際協力」「贈り物はフェアトレードで」と欧米で
 広まった。

  1986年、その活動が日本で始まり、私もその活動に関わる。しかし、途上国支援
 というと募金や物資の寄付が一般的な日本では、商品を買うこと=支援という公正貿易
 (フェアトレード)の意味がなかなか理解されない。この活動は、売れなければ意味がな
 い。生産者に注文を継続して行うことが経済的自立につながるからだ。

  そこで、フェアトレード団体はファッションに着目する。服は、消費者が毎年新しい
 ものを購入するし、1枚の服を作るのに、織り、刺繍、染め、縫製とたくさんの人の手
 が必要で、多くの雇用を生み出す。更に、効率的な機械生産の普及で失業した手織りや
 手刺繍の職人の仕事の復帰と、手工芸の伝統的技術を守っていくことにもつながる。

  インドでは綿花の栽培農家が農薬の害で皮膚病や半身不随などの健康被害のほか、
 農薬の借金で過去16年間に25万人の自殺者(30分に1人の割合)という現状。日本
 の団体は、生産者の健康や環境を守りたいと、無農薬栽培の綿花(オーガニックコットン)
 に取り組み始めたのが1998年だ。日本の消費者の基準は世界一厳しい。日本で通用する
 服づくりに、生産者を招いての研修や専門家を連れて現地で指導するなど、生産者と団体
 の長年の努力の末に、作る人の健康や環境に配慮したフェアトレードの服が出来上がる。

  「フェアトレードの仕事があって、本当にうれしいです!」と笑顔で言うのは、ネパー
 ルの生産者の女性たち。家庭でも社会でも差別と抑圧、貧困に苦しんでいた彼らは、収入
 がある仕事を得て自信をつけ、生きる希望を見出した。

  いつもドキドキのフェアトレードの服の展示会。今年の春夏展示会は、はじめての方や
 若い方も来てくれた。赤ちゃん連れのKさんは、出産してから買う物を選ぶ意識が変わっ
 たという。「でも、通販でも買ったことがあるけど、なぜか大事にしようとは思わない。
 お店で買った方が大事にしようと思うんですよね。うちは酒屋をやっていたので、商品は
 お店で買った方がいいと、私は思っています」

  今はネット通販におされて、小売店はどこでも厳しい。たとえ同じ商品でも、お店や
 展示会で見て、試着して、その商品の良さをお話して、と超アナログだが、お客さんの
 顔や声と、私もすてきな商品を売る喜びがあるから、頑張って続けたいな。

  おいものせなかだより4月   2017年4月5日(水) [おいものせなか通信]

通信.jpg

 おいものせなかだより4月 ウラ

 
         ずっと一緒に笑顔でいよう
                            2017年4月5日(水)


 「ずっと一緒に笑顔でいよう」息子が結婚式の二次会に流す、友だちや家族から
 内緒で集めたお嫁さんへのサプライズ動画の中で、息子が書いていたメッセージの
 中の文字をつなげたら、最後に現れたのが、この言葉。
 「そういえば、あの子は生まれた時から笑っていたな」

  「おいものせなかはどういう意味ですか?」よく、聞かれる。当時2歳のこの子
 がつけた。意味不明。東和町の山あいの自宅で生まれた子は、助産婦さんが、
 「赤ちゃんは胎脂があるから大丈夫」と、私の後産(あとざん)が済むまで新聞紙に
 包まれてガサゴソ動いてた。 ※後産は母体から胎盤を出すこと。30分位。

  いつも裸んぼ。食卓の脇で「うんち」と言って、エーと言ってる間に、5秒で
 床にボトッ。外で全力で走っていて止まれず、停車中の車に激突して、エヘヘ。
 店の奥からキャベツを頭に乗せて現れて、お客もびっくり。熱はキャベツか豆腐を
 乗せとけという母の仕業。氷点下の朝、半袖Tシャツ1枚にランドセルで登校する
 姿に通りすがる人がギョッ。古雑誌の投げっこでよろけて鉄柱にぶつかって頭を
 切ってハゲを作ったが、中学でまた頭から血を流して帰ってきた。チャリでフェンス
 の穴を通り抜けられると思った、エヘヘ。

  小学3年から始めたサッカーでプロになる夢を抱き、大学もサッカーの名門を
 目指して落ちて、過酷な「新聞配達少年で浪人」の手続きをしていたが、幸運にも
 別の国立後期で受かった。大学でサッカーの練習の後に、夜10時から深夜2時まで
 バイト。審判の資格もとり、海外の大会で審判も経験、就職して社会人チームに。
 日夜仕事全力、週末サッカー。旅行好きで盆暮れも帰省しない子が、珍しく正月に
 帰ってきた。雪の中に真っ裸でダイブする写真を友だちと約束したから撮ってと。
 それが目的で帰ったか(笑)。

  昨年11月、かわいい彼女を連れて帰り、結婚の報告。式は3月、引き出物を
 探しているようで、つい、「フェアトレードのギフトはどう?」という母の提案に、
 即「いいですね!」と、お嫁さん。す、素直だ。お見送りのお菓子もフェアトレード
 のチョコにしてくれた。テーブルのカード立てに、インドのパレワストーン。ギフト
 の中身は、ネパールの紅茶、クッキー、スプーン、パレスチナのオリーブ・オイルや
 石鹸にオーガニックコットンタオルなど。初めてのフェアトレードの引き出物の注文!

 「生産者の説明パンフもどんどん入れていいですよ。この機会に、お母さんの仕事
 フェアトレードをみんなに知ってもらいたいです!」
  うぅ、二人の気持ちに泣けるー(*_*;。

  張り切ってオリジナルの手書きの説明を作り、色鉛筆やハンコで一枚一枚色塗り。
 ラッピングは手漉き紙にフェアトレードの麻ひも。式の3日前に引き出物を90個
 無事に送って一段落の後は、作ってほしいと頼まれていたウェルカムボード。夫が、
 ある材料でここまでだ!と放った土台に、後は私が引き受けて、文字を描く。前日、
 うちのアイビーを持って行ってからませた。これは好評だった。
 「親父の絵も、この機会にみんなに見てほしい。せっかくのチャンスだから!」と
 10点ほど、頑固親父も内心うれしげに飾っていた。
 
  式場は、六本木の一軒家貸し切りの結婚式場。二人が旅した国の写真やグッズを
 あちこちに。席次表は、旅のガイドブック「地球の歩き方」の表紙からしてそっくり!
 各テーブルに行った国の国旗とお土産グッズ、チャペルから披露宴会場までの階段に
 写真をズラーと飾り、各席の世界地図の断片に皆で寄せ書き。至るところ「旅」が
 テーマ。そういえば招待状からして、パスポートだった。皆に楽しんでもらおうと、
 二人で一生懸命準備してきた。披露宴の間も、ずっと皆が笑顔。また泣く人もいて、
 とてもいい結婚式だ。

  最後の親への言葉。緊張する。二人とも親だけでなく、兄弟姉妹への言葉を書いて
 いた。息子は5人分を、便箋4枚にぎっしり、全部読む。こんなのアリ?(笑)この子は
 15歳から家を出たので、久々に6人揃ったこの時だから伝えられる想いを書いたのだ。
 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  親父から学んだことは、人生という大きなくくりにおいて、「やりたいことをやる」
 「なんとかなる」ということ。(略)親父は、普通の人は「お金になるからやる」と
 判断するところでも、自分の考えがぶれないのがすごい。俺が、「人生お金じゃない」
 と思って生きているのは、損得勘定で物事を判断しない親父がいたから。「お金を稼
 ごうとしない」親父って、本当に稀有で貴重だよ。その分何をやっているかといったら、
 家の壁に板を打ったり、壁に穴をあけて煙突を通したり、他の人ができないことをやっ
 ている。(略)おかんが苦労していることも多いから、ちゃんと手伝ってあげてね。

  お母さん。苦労の多い子育てだったと思うが、みんなここまで育ちました。自分の
 ことはさておき、家族のこと、他人のこと、そして発展途上国の貧しい人たちの為に
 誇りを持って仕事をする姿勢、昔からずっと尊敬しています。小さい頃、貧困の国々の
 人達を助ける前に、目の前にいる貧困な俺らを助けてよと、何度も思いました。でも、
 オカンは、自分達は十分幸せなんだと。寝るところがあって、着る服があって、食べる
 物がある、それだけで幸せなんだから、ぜいたくはしないで周りの人を助けなさいと。
 そんなオカンだったからこそ、ご飯つぶは残さないとか、モノは大切にするとか、余っ
 たからと言って食べ物を捨てないとか、常に貧しい国の人達のことを考えた判断をする
 ようになりました。小さなことのようで、とても大切なことを学びました。(略)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  「どういう家庭にしたい?」に、息子が「笑顔が絶えないふざけた家庭」うんうん。
  お嫁さんは、「世界一クレージーな家庭」・・・彼女の方が、一枚上手だわ(笑)。
  二人の、何度も出てくる「笑顔」に感心した。簡単そうでいて、簡単じゃない。
  えらいな、がんばれ!

                                   (ぶん)

  おいものせなかだより 3月   2017年3月4日(土) [おいものせなか通信]

  おいものせなかだより出来ました。が、裏面は間に合わず、もし書けたらね(^_^;)。

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  おいものせなかだより 1・2月    2017年1月26日(木) [おいものせなか通信]

  やっと、できました!1月も終わるというのに(>_<)、だから、また2月号と合併号です。(^^ゞ

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  おいものせなかだより ウラ面 イラストが入るので、原版を取り込みました。読めるかなあ。

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  おいものせなかだより 12月     2016年12月16日(金) [おいものせなか通信]

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  おいもだより 裏面

              ビリギャル子の母ちゃん、タイに行く

   以前通信に書いた、うちの元ビリギャル子が8月からバンコクの大学に交換留学生として
  行った。「せっかく5ヶ月もいるのだから、タイ語を学んで、NGОを訪ねてボランティアをやると
  いいよ」という母の言葉、「ハイ!」と元気に飛び立った娘だった。

   1ヶ月がたった。メールにタイ語のタの字も出てこない。どうした?「高い授業料払ってタイ語
  やっても、将来使うかわからないし。学校がつまらない。日本に帰りたい。でも帰ったところで、
  お母さんはじゃあ何しに行ったのと言うにきまってる!」と、テンションMax↓。

   うーむ、タイが合わなかったのか。それにしても贅沢だ!誰もがいいねーと羨む留学生活。
  それもタイの東大とかで、バンコクの一等地にデンと。私が制服着て代わりに行きたいくらい。
  実は、娘がいる間に行きたい!と、私は夏からタイ語を始めた。娘のお下がりのとブックオフ
  で見つけた2冊の教科書で独学。毎日朝飯前の1~2時間と、定休日に4~5時間。3ヶ月で
  マスターするぞ!と短期決戦で猛勉強。特に必要性はなくても、話せれば世界は広がると
  夢見て頑張る母と、抜群の環境にもかかわらず無駄に頑張らない娘。時代が違う?そして、
  私はついに11月にタイ語の勉強の成果を!なんて、ハハ…撃沈でした。現地で3ヶ月やるの
  と日本とでは全然違う。あの勉強は何だったのか~(涙)。やり方が悪かったか、気を取り直して
  仕切り直しだわ。

   そしてスマホ騒動。私は携帯を持っていないので、バンコクで娘との連絡が心配だった。
  娘たちはこの際買えと言う。では格安スマホなるものをせっせと調べて、やっと安いタイプでと
  決めたら、10日間の旅行のためにわざわざ買うの?と誰かに言われて、またくじけた。やはり
  持ちたくない気が出た。ついに、体育系息子にダメ元で聞いてみた。そしたら、息子の彼女が、
   「私の使っていないスマホを使っていいですよ。契約しなくてもWifi(ワイファイ)が飛んでいれば
  つながるので、ラインで電話もタダでできます!」

  タダ?偶然にも出発1週間前に2人で帰省した。彼女のiフォン、前面にかなりのヒビが入っている。
  これを1年も使ってたの?「(旅行した)ミャンマーの遺跡に落としたヒビだと笑い話にしてました」
  エライ。契約しないとメールは使えないので、ラインを設定してくれて、ふだん音信不通の息子
  たちともラインで会話ができる。写真もデジカメよりずっときれいだ。

   タイに行く前に白髪染めのへナをやって、眉にもつけたらイモトの眉。早速子どもに写真送ろう♪
  と、スマホを皆がやるように手を伸ばしてこっちに向けたが、向こう側しか写らない。自分に向けた
  ら自然にセルフに変わるのかなと思って(センサー?)、更に反応良くするためにニッとかベーとか
  してみても、変わらない。なんだ、ダメじゃん、自撮りができないなんて。

   へナを落としにお風呂へ、湯舟で考えた。まさかーiフォンがね、もしかして操作ボタンがあるとか。
  その後、もう一度よく見たら、↺マークがあって、もしかしてこれかなと押してみた。くるりんと画面
  が変わって、写しだされたのは頭にタオル巻いたどこかのおばさん。ハーあんたダアレ?ヘッ、
  これがワタシ?写りのいいスマホの真実。見てはいけないものを見てしまった~と、すぐに画面を
  戻した。性能がいいのも善し悪しだ!

   バンコクで、娘を誘ってゲストハウスにも泊まった。安いので、ほとんど若者の中で私は異色。
  そこは1泊一人1200円。6人部屋の2段ベッド。共同のトイレとシャワールーム。共有リビング
  スペースが広く、いつでも飲めるインスタントコーヒー、電子レンジ、食器、包丁などがあって、
  自由に使える。共有フロアで、娘と屋台で買ったおかずを食べたり、喋ったり、スマホいじったり。
  ゆったりと貴重な時間を過ごせた。

   「タイって、高級デパートもたくさんあるけど、物乞いや貧しい人もまだまだ多いよね。でも、
  どこか明るいんだよね。仕事中でも皆よくお喋りしているし。しあわせ…なのかなあ」と問えば、
  「先のことを心配しないんだよね。貯金もないけど、不安を持たないというか」と娘。「日本では、
  2000万円の貯金でも老後は足りないっていうんだよ」 娘「えー、ほんと?」母「老後破産とか、
  下流老人とかやだね、なぜかマスコミが不安を煽ってるよね」 
   タイでは、うつや自殺が少ないのかと思う。

   タクシーに乗れば、掲げる証明書の顔写真が違うので聞くと、「父だ」「友だち」。それで通用
  するんだ(笑)。接客でもけっこう不愛想な人も多いし、店員同士でお喋りも。いいかげんでマイ
  ペンライ(大丈夫、気にしない)風土。娘は週末は海や島に遊びに出て、本領発揮。意気込んで
  行ったタイで、娘にも語学にもこけた私に、「期待し過ぎるんだよ。ダメ人間になればいいんだ」と夫。

   せっかく行ったからにはと期待したり、成果を求めても、思うようにはいかないさ。タイ語で地元
  の人に、何が幸せかを聞きたいという目的もあったけど。以前、「求めない(と幸せになる)」という
  詩もあった。帰ってから、忙しい日本の日常についていけなかった。

    12月10日、タイからエアメールが届いた。11月末に娘が出した手紙で、開けたら「…中高の時
  は何度も何度も、何でうちに産まれてきたんだろう、うちになんか産まれなきゃよかった!と思っ
  てきたけど…」20歳の誕生日の前にして両親への感謝の手紙。「兄弟の中で一番怒られたような
  気がする」と書いているように、よく反省文を書かせられた子。だから、文章も上手になった(笑)。

    わずか5時間の国から12日もかかって届いた手紙。ラインで、「着いたよ」「やっと?」。
   この時間の待ちは、便利さよりもすごい。 


 おいもだより裏面 三田照子さん    2016年10月12日(水)  [おいものせなか通信]

 
            戦争だけは、絶対にやってはいけない
                                               2016.10.10

    人の一生はどの人にとっても冒険旅行だと言っている人がいました。予想もしない
   生活が待っています。出会う人も様々であります。「冒険の中から幸せをみつけて、それ
   をおこなっていくのがお前の役目だよ。どんな道でも幸せに変えることができるから」
   それが旅立つ娘への母の言葉でした。
    幸せかどうか、未来はわかりません。何が待っているか、わかりません。
   ただ、希望を持って歩いて行く。それが人生だと思います。


    大正6年、山形県の鶴岡市に生まれました。幼い頃に父が結核でなくなり、母の手
   ひとつで育ったのです。母は養蚕技師の資格をもっていて新潟県庁で働き、私は優しい
   祖母の手で育てられました。女に学問は必要無いという時代に、母は苦労して私を高等
   女学校、その後仙台の宮城学院に入れてくれました。そこで日本の女子教育のために
   いらした米国人の2人の先生に、オルガンや聖書やボランティア活動を学んだのです。

    昭和16年、軍国政策で農家の若者に渡満(満州)を推奨し、私は日中の懸け橋に
   なろうと同じ志をもつ男性と結婚して中国に渡りました。満州開拓団とはいえ、中国人の
   土地を二束三文で奪い、中国人を馬鹿にして威張っている日本人が大半で、私の大事な
   仕事は中国人と親しくなることでした。日本語の夜学を無料で開いて日本語を教えるのが、
   中国人と仲良くなる一番の近道でした。はじめは3人から、5人、10人と増えていきました。

    ただ、びっくりしたのは、どの中国人も言葉が乱雑なことです。「おまえ、どこから来た」
   とか。当時、日本人はこんな乱暴な言葉で喋るんだなと、それが本当に日本語だと思って、
   真似をしているのだろうと夫と話しました。私は、しっかりした日本語を教えてあげなくては
   と思いました。少しでも相手に響くように、心して話すようにしました。

    昭和20年8月9日、突然爆弾が落ち、ソ連の裏切りで戦争になりました。開拓団は襲撃
   され、男は銃殺され、女は外出禁止令になり、逃げる身に。ソ連兵は、日本人の家に入り
   込んで、何でも自分のほしいものを捕っていき、最後は少女たちを連れていきました。
   私はその時7ヵ月の身重で、ソ連兵が毎日のように入ってくるような環境で、男の子を出産。
   夫は日本人難民の世話に奔走していました。8月15日日本が負けたという放送があった時、
   親しくしていた中国人が走ってきて手を握って、国がどうあろうと私たちの愛は変わらないと
   言いました。

    土地を略奪された中国農民の怒りとソ連兵の二重の襲撃で、開拓団は過酷な逃避行を
   強いられ、飢えと病で次々と死んでいきます。毎日死体がリヤカーで運ばれていき、校庭に
   1000個の墓を掘っても、それもひと月でいっぱいになりました。
    昨日会った人は今日はいません。

    昭和21年ようやく帰国が始まり、夫は残って避難民の一人一人に住所、氏名、遺書を
   書かせ、必ず皆さんの家族に送り届けると、その人達が全員息を引き取るまで看病して
   回りました。私が引き揚げてから、夫の持ち物は遺族の住所と名前と遺書だけでした。

    戦争ほど恐ろしいものは、それ以上のものはありません。どんな国の人でも、心ひとつで、
   愛があれば、親友になれる。中国にいて、愛は国境を超えることをつくづく知りました。
   平和になるには、お互いを愛し合うことです。

    前に(2月)ここでお話したときに、盛岡から来た小学校5~6年の女の子が、皆出征する
   ときにバンザーイという。涙をいっぱいためて、戦地に行く。万歳はほんとうはうれしい時に
   使う言葉だけれど、なぜ万歳を言わなければならないのでしょうという質問がありました。

    万歳を言わなければならない、そういう世の中なのでしょうね。出征するときに、泣きながら
   でも言わなければならない。戦争だけは、絶対にやってはいけない。戦争をやってからでは
   遅いから、戦争をやる前に、皆の方から声を出して言うべきです。召集令状が来るような
   国にならないように。それは、心に覚えておかねばならないと思います。
                                 (9月25日 三田照子さんのお話会より)

            無題.jpg(中野由貴さん提供)
 
    三田照子さんは、ご長男の三田望さんに手をとられて、ゆっくりと歩いて席へ。10枚程の
   原稿を用意されて、約1時間はっきりとした口調でお話をされました。その後、望さんの補足
   説明があり、実はこの日は偶然にも照子さんの満99歳、数え100歳の誕生日でした!
   大きなバナナケーキと花巻キリスト教会さんからの花束で、皆でお祝いをしました。

    4年前、94歳で出版されたご著書には、少女時代のお話、満州での戦争体験、戦後の
   暮らしなどが情景豊かに書かれ、その記憶力と文章の上手さにびっくりします。それは、昔、
   女学校の月謝をなくしてしまったときに、しくしく泣いていたら、お母さんが、「泣いてないで、
   今の心境を書きなさい。本当の気持ちがわかるでしょう。書いて先生に提出しなさい」と
   言われて書くようになり、読書好きになったのも、お母さんが新潟県庁にいる間、毎月本を
   送ってきたからだとか。

    お母さんは、明治生まれにしては珍しくすごい読書家で、86歳で亡くなるまで勉強もして
   いました。戦後、新憲法に変わった時に、その頃は女の人は新聞を読まないので、皆が
   わかるように平和憲法の大切さを講演して歩いた方でした。

    照子さんは、明日のお米がない戦後の厳しい暮らしの中でも、国が見捨てた避難民の
   世話に奔走する夫を誇りに思い、やりくりして宿代を渡します。でも、文章からはそんな
   苦しい様子が感じられません。望さん曰く、「お母さんゆずりの性格が大きいかな。
   基本的に、楽天的なんですよ」  ・・・よおし、わたしも明日から楽天的になろう~!?

   ※夫の三田善右ヱ門さんが中国での戦争体験と敗戦後の姿を記録された貴重なご著書
    「光陰(こういん)赤土(せきど)に流れて」を、おいもで販売中!1000円



  おいものせなかだより10、11月   2016年10月10日(月・祝) [おいものせなか通信]

  おいものせなかだよりがやっとできました。遅くなってしまい、すみません、合併号。(#^.^#)
  今日まで10日間、おいもでのフェアトレードの秋冬展示会でした。有難うございましたm(__)m。
  明日は雫石に移動して、1日(11時~16時)住工房・森の音で出張展示会です。

無題.jpg

  裏面は、明日が終わってから、UPします。
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