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  おいものせなかだより 3月   2017年3月4日(土) [おいものせなか通信]

  おいものせなかだより出来ました。が、裏面は間に合わず、もし書けたらね(^_^;)。

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  おいものせなかだより 1・2月    2017年1月26日(木) [おいものせなか通信]

  やっと、できました!1月も終わるというのに(>_<)、だから、また2月号と合併号です。(^^ゞ

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  おいものせなかだより ウラ面 イラストが入るので、原版を取り込みました。読めるかなあ。

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  おいものせなかだより 12月     2016年12月16日(金) [おいものせなか通信]

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  おいもだより 裏面

              ビリギャル子の母ちゃん、タイに行く

   以前通信に書いた、うちの元ビリギャル子が8月からバンコクの大学に交換留学生として
  行った。「せっかく5ヶ月もいるのだから、タイ語を学んで、NGОを訪ねてボランティアをやると
  いいよ」という母の言葉、「ハイ!」と元気に飛び立った娘だった。

   1ヶ月がたった。メールにタイ語のタの字も出てこない。どうした?「高い授業料払ってタイ語
  やっても、将来使うかわからないし。学校がつまらない。日本に帰りたい。でも帰ったところで、
  お母さんはじゃあ何しに行ったのと言うにきまってる!」と、テンションMax↓。

   うーむ、タイが合わなかったのか。それにしても贅沢だ!誰もがいいねーと羨む留学生活。
  それもタイの東大とかで、バンコクの一等地にデンと。私が制服着て代わりに行きたいくらい。
  実は、娘がいる間に行きたい!と、私は夏からタイ語を始めた。娘のお下がりのとブックオフ
  で見つけた2冊の教科書で独学。毎日朝飯前の1~2時間と、定休日に4~5時間。3ヶ月で
  マスターするぞ!と短期決戦で猛勉強。特に必要性はなくても、話せれば世界は広がると
  夢見て頑張る母と、抜群の環境にもかかわらず無駄に頑張らない娘。時代が違う?そして、
  私はついに11月にタイ語の勉強の成果を!なんて、ハハ…撃沈でした。現地で3ヶ月やるの
  と日本とでは全然違う。あの勉強は何だったのか~(涙)。やり方が悪かったか、気を取り直して
  仕切り直しだわ。

   そしてスマホ騒動。私は携帯を持っていないので、バンコクで娘との連絡が心配だった。
  娘たちはこの際買えと言う。では格安スマホなるものをせっせと調べて、やっと安いタイプでと
  決めたら、10日間の旅行のためにわざわざ買うの?と誰かに言われて、またくじけた。やはり
  持ちたくない気が出た。ついに、体育系息子にダメ元で聞いてみた。そしたら、息子の彼女が、
   「私の使っていないスマホを使っていいですよ。契約しなくてもWifi(ワイファイ)が飛んでいれば
  つながるので、ラインで電話もタダでできます!」

  タダ?偶然にも出発1週間前に2人で帰省した。彼女のiフォン、前面にかなりのヒビが入っている。
  これを1年も使ってたの?「(旅行した)ミャンマーの遺跡に落としたヒビだと笑い話にしてました」
  エライ。契約しないとメールは使えないので、ラインを設定してくれて、ふだん音信不通の息子
  たちともラインで会話ができる。写真もデジカメよりずっときれいだ。

   タイに行く前に白髪染めのへナをやって、眉にもつけたらイモトの眉。早速子どもに写真送ろう♪
  と、スマホを皆がやるように手を伸ばしてこっちに向けたが、向こう側しか写らない。自分に向けた
  ら自然にセルフに変わるのかなと思って(センサー?)、更に反応良くするためにニッとかベーとか
  してみても、変わらない。なんだ、ダメじゃん、自撮りができないなんて。

   へナを落としにお風呂へ、湯舟で考えた。まさかーiフォンがね、もしかして操作ボタンがあるとか。
  その後、もう一度よく見たら、↺マークがあって、もしかしてこれかなと押してみた。くるりんと画面
  が変わって、写しだされたのは頭にタオル巻いたどこかのおばさん。ハーあんたダアレ?ヘッ、
  これがワタシ?写りのいいスマホの真実。見てはいけないものを見てしまった~と、すぐに画面を
  戻した。性能がいいのも善し悪しだ!

   バンコクで、娘を誘ってゲストハウスにも泊まった。安いので、ほとんど若者の中で私は異色。
  そこは1泊一人1200円。6人部屋の2段ベッド。共同のトイレとシャワールーム。共有リビング
  スペースが広く、いつでも飲めるインスタントコーヒー、電子レンジ、食器、包丁などがあって、
  自由に使える。共有フロアで、娘と屋台で買ったおかずを食べたり、喋ったり、スマホいじったり。
  ゆったりと貴重な時間を過ごせた。

   「タイって、高級デパートもたくさんあるけど、物乞いや貧しい人もまだまだ多いよね。でも、
  どこか明るいんだよね。仕事中でも皆よくお喋りしているし。しあわせ…なのかなあ」と問えば、
  「先のことを心配しないんだよね。貯金もないけど、不安を持たないというか」と娘。「日本では、
  2000万円の貯金でも老後は足りないっていうんだよ」 娘「えー、ほんと?」母「老後破産とか、
  下流老人とかやだね、なぜかマスコミが不安を煽ってるよね」 
   タイでは、うつや自殺が少ないのかと思う。

   タクシーに乗れば、掲げる証明書の顔写真が違うので聞くと、「父だ」「友だち」。それで通用
  するんだ(笑)。接客でもけっこう不愛想な人も多いし、店員同士でお喋りも。いいかげんでマイ
  ペンライ(大丈夫、気にしない)風土。娘は週末は海や島に遊びに出て、本領発揮。意気込んで
  行ったタイで、娘にも語学にもこけた私に、「期待し過ぎるんだよ。ダメ人間になればいいんだ」と夫。

   せっかく行ったからにはと期待したり、成果を求めても、思うようにはいかないさ。タイ語で地元
  の人に、何が幸せかを聞きたいという目的もあったけど。以前、「求めない(と幸せになる)」という
  詩もあった。帰ってから、忙しい日本の日常についていけなかった。

    12月10日、タイからエアメールが届いた。11月末に娘が出した手紙で、開けたら「…中高の時
  は何度も何度も、何でうちに産まれてきたんだろう、うちになんか産まれなきゃよかった!と思っ
  てきたけど…」20歳の誕生日の前にして両親への感謝の手紙。「兄弟の中で一番怒られたような
  気がする」と書いているように、よく反省文を書かせられた子。だから、文章も上手になった(笑)。

    わずか5時間の国から12日もかかって届いた手紙。ラインで、「着いたよ」「やっと?」。
   この時間の待ちは、便利さよりもすごい。 


 おいもだより裏面 三田照子さん    2016年10月12日(水)  [おいものせなか通信]

 
            戦争だけは、絶対にやってはいけない
                                               2016.10.10

    人の一生はどの人にとっても冒険旅行だと言っている人がいました。予想もしない
   生活が待っています。出会う人も様々であります。「冒険の中から幸せをみつけて、それ
   をおこなっていくのがお前の役目だよ。どんな道でも幸せに変えることができるから」
   それが旅立つ娘への母の言葉でした。
    幸せかどうか、未来はわかりません。何が待っているか、わかりません。
   ただ、希望を持って歩いて行く。それが人生だと思います。


    大正6年、山形県の鶴岡市に生まれました。幼い頃に父が結核でなくなり、母の手
   ひとつで育ったのです。母は養蚕技師の資格をもっていて新潟県庁で働き、私は優しい
   祖母の手で育てられました。女に学問は必要無いという時代に、母は苦労して私を高等
   女学校、その後仙台の宮城学院に入れてくれました。そこで日本の女子教育のために
   いらした米国人の2人の先生に、オルガンや聖書やボランティア活動を学んだのです。

    昭和16年、軍国政策で農家の若者に渡満(満州)を推奨し、私は日中の懸け橋に
   なろうと同じ志をもつ男性と結婚して中国に渡りました。満州開拓団とはいえ、中国人の
   土地を二束三文で奪い、中国人を馬鹿にして威張っている日本人が大半で、私の大事な
   仕事は中国人と親しくなることでした。日本語の夜学を無料で開いて日本語を教えるのが、
   中国人と仲良くなる一番の近道でした。はじめは3人から、5人、10人と増えていきました。

    ただ、びっくりしたのは、どの中国人も言葉が乱雑なことです。「おまえ、どこから来た」
   とか。当時、日本人はこんな乱暴な言葉で喋るんだなと、それが本当に日本語だと思って、
   真似をしているのだろうと夫と話しました。私は、しっかりした日本語を教えてあげなくては
   と思いました。少しでも相手に響くように、心して話すようにしました。

    昭和20年8月9日、突然爆弾が落ち、ソ連の裏切りで戦争になりました。開拓団は襲撃
   され、男は銃殺され、女は外出禁止令になり、逃げる身に。ソ連兵は、日本人の家に入り
   込んで、何でも自分のほしいものを捕っていき、最後は少女たちを連れていきました。
   私はその時7ヵ月の身重で、ソ連兵が毎日のように入ってくるような環境で、男の子を出産。
   夫は日本人難民の世話に奔走していました。8月15日日本が負けたという放送があった時、
   親しくしていた中国人が走ってきて手を握って、国がどうあろうと私たちの愛は変わらないと
   言いました。

    土地を略奪された中国農民の怒りとソ連兵の二重の襲撃で、開拓団は過酷な逃避行を
   強いられ、飢えと病で次々と死んでいきます。毎日死体がリヤカーで運ばれていき、校庭に
   1000個の墓を掘っても、それもひと月でいっぱいになりました。
    昨日会った人は今日はいません。

    昭和21年ようやく帰国が始まり、夫は残って避難民の一人一人に住所、氏名、遺書を
   書かせ、必ず皆さんの家族に送り届けると、その人達が全員息を引き取るまで看病して
   回りました。私が引き揚げてから、夫の持ち物は遺族の住所と名前と遺書だけでした。

    戦争ほど恐ろしいものは、それ以上のものはありません。どんな国の人でも、心ひとつで、
   愛があれば、親友になれる。中国にいて、愛は国境を超えることをつくづく知りました。
   平和になるには、お互いを愛し合うことです。

    前に(2月)ここでお話したときに、盛岡から来た小学校5~6年の女の子が、皆出征する
   ときにバンザーイという。涙をいっぱいためて、戦地に行く。万歳はほんとうはうれしい時に
   使う言葉だけれど、なぜ万歳を言わなければならないのでしょうという質問がありました。

    万歳を言わなければならない、そういう世の中なのでしょうね。出征するときに、泣きながら
   でも言わなければならない。戦争だけは、絶対にやってはいけない。戦争をやってからでは
   遅いから、戦争をやる前に、皆の方から声を出して言うべきです。召集令状が来るような
   国にならないように。それは、心に覚えておかねばならないと思います。
                                 (9月25日 三田照子さんのお話会より)

            無題.jpg(中野由貴さん提供)
 
    三田照子さんは、ご長男の三田望さんに手をとられて、ゆっくりと歩いて席へ。10枚程の
   原稿を用意されて、約1時間はっきりとした口調でお話をされました。その後、望さんの補足
   説明があり、実はこの日は偶然にも照子さんの満99歳、数え100歳の誕生日でした!
   大きなバナナケーキと花巻キリスト教会さんからの花束で、皆でお祝いをしました。

    4年前、94歳で出版されたご著書には、少女時代のお話、満州での戦争体験、戦後の
   暮らしなどが情景豊かに書かれ、その記憶力と文章の上手さにびっくりします。それは、昔、
   女学校の月謝をなくしてしまったときに、しくしく泣いていたら、お母さんが、「泣いてないで、
   今の心境を書きなさい。本当の気持ちがわかるでしょう。書いて先生に提出しなさい」と
   言われて書くようになり、読書好きになったのも、お母さんが新潟県庁にいる間、毎月本を
   送ってきたからだとか。

    お母さんは、明治生まれにしては珍しくすごい読書家で、86歳で亡くなるまで勉強もして
   いました。戦後、新憲法に変わった時に、その頃は女の人は新聞を読まないので、皆が
   わかるように平和憲法の大切さを講演して歩いた方でした。

    照子さんは、明日のお米がない戦後の厳しい暮らしの中でも、国が見捨てた避難民の
   世話に奔走する夫を誇りに思い、やりくりして宿代を渡します。でも、文章からはそんな
   苦しい様子が感じられません。望さん曰く、「お母さんゆずりの性格が大きいかな。
   基本的に、楽天的なんですよ」  ・・・よおし、わたしも明日から楽天的になろう~!?

   ※夫の三田善右ヱ門さんが中国での戦争体験と敗戦後の姿を記録された貴重なご著書
    「光陰(こういん)赤土(せきど)に流れて」を、おいもで販売中!1000円



  おいものせなかだより10、11月   2016年10月10日(月・祝) [おいものせなか通信]

  おいものせなかだよりがやっとできました。遅くなってしまい、すみません、合併号。(#^.^#)
  今日まで10日間、おいもでのフェアトレードの秋冬展示会でした。有難うございましたm(__)m。
  明日は雫石に移動して、1日(11時~16時)住工房・森の音で出張展示会です。

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  裏面は、明日が終わってから、UPします。

  おいものせなかだより 9月         2016年9月9日(金) [おいものせなか通信]

  おいものせなかだより9月が、やっとできました!今日から、花巻まつりですヽ(^o^)丿。

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 おいものせなかだより ウラ

             おら、スマホ持ってないから、わかんねー
                           
                                           2016年9月9日

    たまーに電車に乗ると、本を読んでいる乗客を見て、どこかホッとする。
   が、7月に東京に行った時に遭遇したある光景。電車の向かい側に座っている乗客が
   全員スマホをいじっているのだ。大抵1人くらいはやらない人がいるものだが、はじめて
   乗車口の間の座席に10人ほどがそろってスマホに夢中の光景は、CMみたいだった。

    私は携帯電話を持っていない。子どもたちは皆高校から持ち始め、3人スマホになった
   時は、電話代の支払いが家計を圧迫した。今は末っ子だけなので、やっと親も持てるか
   と思いつつ、なかなか踏み切れずにいる。

    その理由は、私はほとんどお店にいるので、固定電話を使う。インターネットはパソコンで
   十分。たまの休みの日に出かけて時間通りに戻らないと、家族は「いいかげん携帯持て」と
   言うが、出先まで追っかけられたくない。特に必要性を感じないものに、月々の携帯代は
   もったいない。

    そして、携帯に電話するのが苦手である。相手が誰かと話し中か運転中か、おかまい
   なしに割り込んでいくようで、緊急以外遠慮していた。が、今は着信というものを知り、
   相手もかけ直してくれて、急ぐ時もすぐつながるのは、やはり便利だ。

    唯一私が必要を感じるときは、年に数回東京に行ったとき。人との連絡に不便で、見か
   ねた息子がPHSをくれた。「俺が基本料金払うから、親2人共有で1台持てば?」
   公衆電話を探すのが大変なので、通話だけでも重宝している。でも、行きたい所や乗り換え
   を調べたい時、スマホがあったらと思う。出発前にしっかり調べていけば済むことなのだが。

    この間は出発前に仕事が終わらず、上京中に商品の発注をコンビニからFAXで送り、
   もうひとつはネット発注なので困っていたら、娘のスマホで簡単にできて、びっくり!
   そうか、スマホはパソコンと同じなんだ。じゃあ、出先で仕事もできる?ブログも更新できる?
   ならば、画面が大きいタブレットの方がいいかな♪と、急に便利さ物欲が出る。
    ねえねえと必要性を話して、息子に相談すれば、「出かけた先まで仕事を持って出るの?
   やめたら?」。「…ハイ」

    今は学校の連絡もメールかライン、旅行などで安いチケットはネット予約のみ。
   「インターネットを使えない少数派には生きにくい世の中だ!」と夫は怒る。
   とても便利なスマホだが、弊害もある。モラルの低下(※)や5感が鈍くなる、自分で
   考えなくなるとは、昔からよく言われている。
    そして、ポケモンGOで犠牲者が出た。ネット上のいじめで自殺に追い込まれる子、
   バッシングで炎上とかも、罪の意識がない弱い者いじめ?が蔓延しているようだ。
    批判も匿名だから、放つ言葉に責任を持たない。面と向かってケンカすればいいのに。
   言っていいこと、悪いことは、相手も自分も傷つきながら、その加減を身につけていき、
   人との関わりの中で成長していくのではないだろうか。

    娘が高校生の時、携帯にハマらないという買う時の約束を破ったので、取り上げたら
   半狂乱になって、「ケータイがないと死ぬ!」と言った。「はー、命よりも大事か!?」
   スマホほど情報がない、ガラケーの頃である。
    今も、相変わらずスマホを手から離さず、器用に目はテレビかスマホか。注意しても、
   ブタの耳に真珠。(あれ?まちがった)馬の耳に念仏!親の顔は見ないし、こっちが
   会話をしたくてもスキを与えない。「違う生き物を家の中に飼っているみたいだな」と夫。

    先日東和町のにっちで、「アイヌの治造展」と「カムイと生きる」映画上映会があり、
   浦川治造(はるぞう)さんに会った。ニコニコと優しい風貌で人を惹きつけるオーラがすごい。
   治造さんは、アイヌ民族の差別と貧困の中、小学校から学校に行かず、働いて大人同様に
   稼いでいた。45歳で病気の奥さんと子どもを養うために、上京して必死に働いた。世界の
   先住民族の人たちが来た時に泊まれる家も自分で建てた。何でも自分でつくる。

    頭で考えて行動するのでなく、心と体が動いてしまう人。第6感(※5感を超えるもので、
   物事の本質を掴む心の働きのこと)が優れている人だと。
    そんな治造さんのもとには、うつの人が多くやってきて、治る人もいるという。
   アイヌの人は、山や川や木の神に畏敬の念を持ち、自然と共生した豊かな暮しをしてきた。

    治造さんに、最近のスマホやネット社会をどう思うかと聞いたら、「おら、スマホ持ってない
   から、わかんねー」。更にしつこく、治造さんにとって、幸せって何ですか?と聞くと、
    「うーん、食べれて、寝るところがあって、心配事がないことかな」。

    電化製品とITの普及で、昔よりもはるかに便利でラクになったはずなのに、現代人はいつも
   忙しくて、心配事が多い。情報に振り回されずに、ゆったり自然な暮しをしたいと願っている
   私も、パソコンをパカパカ開けては、メールや情報をチェックするのがクセになっている。
   やばいやばい。

    さて、たまの外出の時のために、やっとガラケーか格安スマホかな、という気になった。
   スマホなら、子どもたちとラインもできるとか。ここで親子の会話が弾むかもしれない?
    うちも、ひねくれた(笑)ネット社会やなー。

 
   ※「スマホが人間をダメにする」2013年ニューズウイーク日本版コラム


  おいものせなかだよりウラ面        2016年7月20日(水) [おいものせなか通信]

              「人間の戦場」 と Mちゃん             2016.7.20  

   ドキュメンタリー映画『広河隆一 人間の戦場』は、フォトジャーナリスト広河隆一の仕事や
  生き方と、その静かな語り口と謙虚な姿勢が観客を魅了した映画だった。
  「ジャーナリストである前に、人間である。目の前に苦しんでる人がいたら、手をさしのべる」。
  人間よりも、「国民」を優先すれば国益のために、「会社の人間」を優先すれば企業の利益の
  ために動くことになる。誰でもが公平に与えられている権利、それは「生きる権利」だという。
  その権利が、人としての尊厳が奪われたときに、広河隆一は、そこを「人間の戦場」と呼んだ。
  
  実は、映画のタイトルの「戦場」と人々が逃げ惑う写真に、悲惨な戦場の映画と思われたのか、
  前売りはかんばしくなかった。広報も頑張ったつもりだったが、上映1週間前で採算目標人数
  の約半分の予約に、胃が痛くなるような想いだった。


   その上映1週間前の土曜日、親友Mちゃん(以下敬称略)の死の知らせに、その場で泣き崩れた。
  Mは、約20年前に花巻に住んでいた頃のお客さんで、山形市に移っても毎月のように注文を続け、
  周囲にもおいもの商品を宣伝してくれた。「同じものだったら、おいもで買う」どころか、「あのね、
  圧力鍋がネットで2割引きなんだけど、おいもは?」とわざわざ聞いてきて、「うわー、うちは無理。
  ネットで買っていいよ」と言ったのに、「おいもで買うわ」と。

   調味料とせっけんの注文もいつもたくさんで、それだけ毎日一生懸命に料理や掃除・洗濯を、
  家族のために手抜きせずにやっている様子が垣間見れた。パッチワークの腕はプロ並みで、おい
  もの10周年の節目にも、「何かできることある?」と、ネーム入りバッグをたくさん作ってくれた。

  以前、私が半ウツになって、非常識にも小・中学生の娘を残し、長男に店を任せて、5週間の旅
  (夫付き)に出てる間、Mは色んな種類のパンをたくさん焼いて、「みんな、お留守番えらいね!」と
  パンの絵と説明と子どもたちへの手紙を添えて、宅急便で2回も送ってくれた。
  自分は我慢してでも、家族や人には愛情を惜しまない、本当に優しい人だった。


   3日後の7月5日、Mとの対面を終えて帰宅し、玄関のドアを開けようとしたら、何かが目の
  前をサーと飛び去った。黒い羽根に緑の体のすごく綺麗なとんぼだった。玄関脇のモッコウ
  バラの枝にじっととまった。夫も私も初めて見た黒いとんぼ。実は、「羽黒とんぼ」という名で、
  お盆の頃に飛ぶので「神様とんぼ」という名も。更に、「亡くなった人の魂は、蝶やとんぼに
  姿を変えて現れるという言い伝え」に、来てくれたんだ!

              とんぼ.jpg

   数日後に迫った映画も、周りの人が呼びかけてくれたりで、Mが見守ってくれると思うと
  ジタバタしなくなった。そして、上映3日前から予約が次々と入り、目標人数を上回って
  黒字になり、皆映画に感動して大成功だった。

   その後の定休日に、疲れを癒しに近くの大沢温泉に行ったとき、川をのぞく半露天風呂の
  岩の上に蛾がとまっていた。黒い羽根に黄金模様の美しい蛾。あ、Mだ!実は15年前、
  実母の初七日を終えて戻り、このお風呂に来て、同じ岩の上に蝶のような綺麗な蛾がじっと
  とまっているのを見て、母だと思った。生前一緒に旅行に行く機会がなかった母が、一緒に
  温泉に入りに来たんだね…。その時の記憶がよみがえった。

                 蛾.jpg
 
   翌朝のこと、玄関のドアを開けると、目の前に黒い立派なカラスが1羽、ベンチにちょこんと
  いてびっくり。カメラを向けても、しばらくジッとしている。こんなに逃げないカラスは初めてだ。
  またMなの?その日、Mのご主人からお悔やみのお返しが届いた。

                 カラス.jpg

   翌日、Mが花巻にいた頃の友人が来て、お店でMの話をしていたとき、夫がふと窓の方を
  指して、「ホラ、黒アゲハがいる!すごく珍しいよ」それは、黒くて大きい綺麗な蝶、「黒アゲハ」。
  庭をのぞむ薄いカーテンにピタッと張り付いて動かない。まるで、私たちの話を聞いていたかの
  ように。この10日間で4回も黒い羽根の姿になって来てくれたのはMだと、思っている。
 
                  蝶.jpg

   夫が、「あの羽黒とんぼがね、土曜の映画の日まで(5日間も)、ウラの小屋の方にずっといた
  んだよ。でも、日曜日にはいなくなってたな」。えー!?Mが映画が終わるまでいてくれたんだ。
  心配していてくれたんだと思うと、涙が出た。

   その夜の夕食時、「俺もさすがに、この4回も続いたのには、びっくりしたよ。よほど、Mちゃんは
  ぶんちゃんのことを好きだったんだなあ」と言われて、また泣いた。
  「Mは、本当にあげる(give)人で、私はもらってばかりだった。Mの想いにどれだけ応えてあげら
  れたかと思うと、なさけない。M―、ごめんなさい」と、叫んだ。

    
   失って初めて、事の大事さを知る。あたりまえにやっていたことが、もうできない。
  私より11歳も若かったが、すべてにおいて、きちんと完璧にこなし、ずっとしっかりしていた。
  いつか、今つらいことも、温泉に入りながら笑い飛ばせる日も来るだろうと思っていたのに。

   Mが、得意の料理やお菓子のレシピ帳と共に、野菜や草花のスケッチを描きためていたことを
  通夜の席で知った。その上手さに驚嘆しながら頁をめくっていくと、一番最後に、「私がよく使って
  いる調味料」と題して、瓶とラベルまで描いたリストの右下に、「お問合せは、おいものせなかへ」
  と、連絡先まで書いてある…。そばで、ご家族が、「これからもおいもさんに、注文するからね」。

   このMの優しい草花のイラスト。ずっと見ていたい、見せたい。カレンダーがいいかなあ。
   さ来年2018年は、おいもの満25周年にあたる年。Mがいたら、きっと、「お祝いに何かつくろ
   うか?」と言うに違いない。だから、今度は私がMのイラストを使って、おいものカレンダーを
   つくったら喜ぶかな。

    あ、ごめん…。もしも、ご家族がこころよく了承してくれたらの話だった。      
                                                 
                                                    (新田ぶん)


  おいものせなかだより7・8月オモテ  2016年7月20日(水) [おいものせなか通信]

  やっと、今日の夕方おいものせなかだよりができました。ウラ面書くのに苦労して、発行が
  遅れてしまい、7・8月合併号です。ウラ面は、写真が入ると長くなるので、別にupします。

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  おいものせなかだより6月       2016年6月6日(月) [おいものせなか通信]

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 おいものせなかだより裏面                                    2016.6.4

          「1枚の写真が国家を動かすこともある」  

  数年前に、廃刊の危機に陥ったフォト・ジャーナリズム雑誌「DAYS JAPAN」を、友人から
 紹介されて、定期購読の応援を始めました。そこで、世界で不条理な現実に苦しんでいる人々
 の写真に、フェアトレードの仕事をやっている私でも、日本にいて平和ボケの頭に衝撃を受けま
 した。
  あまり報道されることのない真実を、危険をかえりみず取材する報道カメラマンたちを心から
 尊敬します。長い歴史の中で、世界の8割以上の人々が基本的な生存権を脅かされていて、
 世界は益々悪くなっているように感じます。もしも、自分が紛争の地に生まれていたら…。まず
 知ること、そして考える。自由に発言し、行動できる私たちができることは何か?世界の人々が
 命を脅かされることなく生きるために。「広河隆一 人間の戦場」を、ぜひ観て下さい。  (新田)

  「DAYS JAPAN」編集長の丸井春さんの5月号の編集後記を、抜粋して紹介します。                                            

   今回は、毎年この時期恒例のDAYS国際フォトジャーナリズム大賞の受賞作品発表号です。
 今回は、世界中から、これまでで一番多い約1万点もの応募がありました。戦争や紛争、貧困、
 飢餓、児童労働や環境汚染、農薬被害や人間生活の犠牲になる動物と多岐に渡り…(中略)。

   さて、今月号では、受賞作品の中から「紛争と難民」を特集しています。難民の時代といって
 もいい今、何百万人の人たちが紛争によって国を追われ、行くあてのない逃亡は人々を死の危険
 にさらしています。ヨーロッパでは彼らを追い返そうという動きも出てきて、日本は受け入れる姿勢
 すら見せていません。(中略)

   世界は一体どこに向かうのでしょうか。日本の私たちにとっても、難民は正直「遠い問題」です。
 関係ないと思っている人も多いでしょう。でも、難民となる人々を生み出す紛争に、本当に私たち
 はまったく無関係でしょうか。私たちの国の首相が、安保関連法まで強制的に施行し、愛情込めて
 支持するアメリカは、イラクやシリアの地にどれだけ爆撃をおこなって、どれだけの罪のない人々の
 命を奪ったでしょうか。それを私たちの国は支援したことはありませんか。

   2016年3月29日。私たちの国は、他の国の戦争や紛争を、武力でもって支援できるように
 なりました。だからこそ、中東の紛争や難民の問題は、特にこれからは、私たちにとって決して無
 関係ではないし、秘密保護法下の日本では、私たちは私たちの知らないところでいつの間にか、
 イラク戦争やアフガン戦争のときのように難民を生み出す加害者になるでしょう。争いに税金を使
 われて。今度は争いに私たちの自衛隊を使われて。争いを武力で解決しようとする試みを何年も
 何十年も続けてきた結果、中東で何が起きているか。それを今回の写真たちが伝えてくれている
 と思います。

  最後に。今回の広河隆一の原稿は必見です。本当に、です。恐ろしい日本に突き進む入り口に
 立つ私たちへの警告です。(丸井)

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「安全保障関連法 施行の日の夜に  国会前デモにて」           
                                
                                 「DAYS JAPAN」5月号より。

   高校1年生のせいなです。朝、新幹線で宮城からここまで来ました。こんな大勢の前で喋ること
 は初めてなので、とても緊張してますが…。自分の言葉でちゃんと伝えたいと思い、今日ここに立
 たせていただきました。なぜ、私がここまでするか。それは、今の政権に不安と強い怒りを持って
 いるからです。
 
   私たちが反対している「安保法制」は、日本が貫いてきた平和主義の象徴としての憲法9条に
 反している、「他国の戦争に参加できる権利」、つまり集団的自衛権が行使できるようになる、自
 衛隊の仕事のリスクが上がる、とても危険なものです。政府がこの法案を無理やり押し通してから
 約7か月が経とうとする今日、ここで私たちが集まってるのは他でもなく、この国がいまやってる
 ことはおかしいんだと、この国の民主主義と立憲主義を完全に無視したこの法制が通ってしまうの
 は本当におかしいんだと、そのことを、国民として、未来を生きるひとりとして、絶対に声に出さなけ
 ればならないと思ったからです。(中略)

   去年の9月17日、参院特別委員会で、速記停止中のなか、委員長の声も聞こえないなか、
 あるはずの総括質疑もなく、「多数」ということで安保関連法が強行採決され、18日の深夜には、
 参院本会議で可決されました。その場面をテレビのニュースで実際に観ていて、自分はこれから
 どうしていったらいいんだろう…、このまま声を上げ続けるべきなのかどうか、自分の無力感に浸り
 ながらいろいろ考えました。でも、自分の身の回りで起きてるこの現実を、見て見ぬ振りをして生き
 ていくことは出来なかった。こうやって、国会前で、顔も名前も出して喋ることはとてもリスクがあり
 ます。でも、ここで言わなかったら、誰かがやらなかったら、この国のこの政権の暴走は止まりません。

  私のしてることに冷笑してる子たちはみんな言います。「そんなことやって何が変わるんだよ、
 楽しんでるだけじゃん」って。でも、じゃあ、ただテレビの前でニュースを観て、「やばいな」って思った
 だけで何かが変わると思う?と私は思います。だってそれはただの傍観者で、思うことは誰にでも
 できます。でも、それをいかに表現するか、訴えるか、少しでも何かを変えられるか。それには、
 いま私たちがやってるように、声を上げることからだと思います。もう夏の参院選まではあっという
 間です。今ここで声を上げなくてどうするのですか?(中略)

  (安保法案が)必要か必要じゃないか以前に、憲法違反という「違反」を堂々とおこなう現政権
 には断固として反対し続け、これからも声を上げ続け、立憲主義を取り戻したいと思っています。
 私たち国民の意思を無視する安倍総理に、この国の未来など任せられません。私は、軽い言葉
 でおさめてしまう傍観者にはなりたくない。私たちが主権者だから。私たち若者の未来は私たち
 が声を上げないと、本当にとんでもないことになります。原発にしろ、処理しきれない問題を後世
 に残していかないでください。(中略)私はまだ選挙に行けないけれど…。だからこそ、選挙権の
 ある人は選挙に行ってほしい。絶対に諦めず、学び、考え、この先も間違ってることには間違って
 いると訴え、それが学生であろうが大人であろうが、声を上げ続け、行動していきます。

   2016年3月29日、私は安全保障関連法の廃止と、安倍政権の退陣を強く求めます。
                                              (せいな/高校1年生)
※5月号(DAYS国際フォトジャーナリズム大賞の受賞作品)特別販売しています、おすすめ!  ※安保法案への26人の提言特集「DAYS JAPAN」2月号も継続販売中。

  おいものせなかだより 5月        2016年5月14日(土) [おいものせなか通信]

  おいもだよりができました!きのうは気が緩んだのか、足を滑らせて階段から落ちました。
  古くて急なので、下までダダダダッ。痛たた!幸い少しの打撲とすり傷だけで、腸ラッキー!
  ホント気をつけよう。「だから、カイダンは怖いっていうだろ。もう若くないんだから」ハイ。

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ウラ面
         「ネパール大地震のその後とシリンゲ村物語」                                                            2016.5.13
  2015年4月25日のネパール大地震から1年。ネパールの状況はどうなのか。先月
 新聞で、ネパール地震の支援金が被災者の復興に使われていないことを伝えていた。
 相変わらず、政治が悪い。追い打ちをかけるのが、近年ようやく民主化されたネパールを
 快く思わないインドの国境封鎖で、生活物資がネパールに入らず、すべて値上がりし、特
 にガソリンは1ℓ600円に!ありえない物価。計画停電も最大1日16時間という、庶民には
 厳しい暮らしが続いている。

  昨年、おいものせなかは店頭で支援を募り、長年信頼できるフェトレード団体ネパリ・バザ
 ーロのネパール支援基金に2回に分けて送った(16万円)。ネパールの貧困改善に取り組
 んできたネパリは、すぐに被災現地に入り、必要なものを調査して、集まった基金で適切な
 支援を行った。

  フェトレードの生産者は、幸い仕事があることで、困難があっても明るく元気だ。
  地震の被害が大きかったのは、コーヒー豆生産者のシリンゲ村のあるトラドゥルン地区で、
 10世帯の家だけが壊れず、326世帯が全半壊でしばらくテント生活だった。村人たちは大工
 仕事で簡素な小屋を作ったが、床は地面でこれからの雨期が心配。一番困ったのが、地震
 で水のパイプが壊れて、遠くまで歩いての水汲み。それを早急にネパリがパイプの修復を
 支援したことで、とても喜ばれた。

  これまで、カトマンズからバスで6時間、そこから急な崖道の山道を歩いて8時間という、
 差別と貧困にあえぐ村だったシリンゲ村のコーヒー栽培をフェアトレードで支援しようと約20年。
 農民はなかなかネパリの長期の展望が理解できず、収穫も不安定だったが、今回の水の修復
 であらためて協同組合の意味を実感し、震災後コーヒー豆の収入にも助けられ、やっと真剣に
 取り組むようになった。

  そのシリンゲ村から新しい豆が届く。今年はとても収穫が少ない。病虫害にやられ、農薬を
 かけないので葉は枯れ、収量に影響が出た。そんなわずかな貴重な生豆を、「いつも応援して
 くれるから」と、おいものカフェ用に分けてもらった。「今、農民が約1000本の苗木を植え、収穫
 には後数年かかりますが、皆さんと一緒に支えていけたらと思います」とネパリ。

  これまでも、多くの困難の中、西ネパールのグルミのコーヒーを育てて、「コストを考えたら、
 コーヒーは利益はなし、赤字です」と、世界一高い価格で生産者から豆を買う。やっと一人前に
 育った有機のコーヒー豆を、10年程前韓国の大きなNGOが取り引きしたいという申し出に喜ん
 で、そのまま生産者の豆を譲った。「育てて、どこでも通用するようになればいいんです」一般の
 ビジネスでは考えられないこと。

  さて、少しでも3回目のネパール地震支援をと思い、まだ有効かと尋ねたところ、今不足して
 いるのが教育支援とのこと。25年間「経済と教育は両輪」をモットーに行ってきたネパールの
 子どもたちの教育支援、親のない子、親が育てられない環境にいる子どもたちへの資金が枯渇
 状態にあるらしく、「おいものエコ・ブランチ!」の収入から孤児院寄付にと指定していたが、今後
 はネパリにおまかせの方にしよう。これら、ベルダレルネーヨ(ネパリのNPO法人)の国内外の
 精力的な支援活動を支えるサポート会員も全国でたった67名。岩手でおいもだけだったのが、
 昨年3人に増えた。よかったら、皆様もよろしくお願いします。

  また、ネパリは東日本大震災以降、ネパールでの経験を生かし、被災地の仕事づくりに取り
 組み、陸前高田の椿油やクーネ化粧品を開発した。今は、被災した野田村の復興に山葡萄の
 ワイナリー建設を始め、サポート会員を募集中。山ぶどうワインや海産物の購入代金を先に支払
 うことで、ワイナリーの運営に必要な資金になり、応援する。なかなか直接事業を手伝うことは
 難しくても、誰でもがおいしいことで応援できる。うちも、応援のお客さまと、1年後に初出荷の
 ワインで乾杯したいなー。(^.^) (山葡萄ワイナリープロジェクトのパンフレットあります)


     映画「ザ・トュルー・コスト」いよいよです!

  ついに、この映画を上映することができて、うれしい。いつも、展示会などでフェトレードの服
 のことを説明をしても、やはり映像で見ると違う。「この映画を観たかった」と予想外に関心が
 高いのにはびっくり。最近、うれしいことに、フェアトレードの服のファンも増えてきた。この映画は
 多量生産・大量消費のファストファッションのドキュメンタリーだが、同時にフェアトレード・ファッシ
 ョンにも焦点をあてる。(フェアトレードは発展途上国の製品を適正な価格で継続的に購入する
 ことで、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す活動である)
  フェアトレード・ファッションについて、ピープル・ツリーから出版された、いい本がある。
  (おいもだより2012年6月で紹介)

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 フェアトレードが日本に上陸して、今年でちょうど30年。歴史の長い欧米諸国でもやらなか
 った服づくりを、日本のフェアトレード団体は、途上国に多くの雇用を生み出す服づくりをと、長年
 生産者と共に努力を重ねて、品質の高いフェアトレード・ファッションを発展させた。私たちがその
 服を着るとき、つくる人の健康や生活を応援し、環境も守る。たくさんの意味があって、大切に
 長く着る。原材料や労働のコストを徹底的に削減するファストの世界とは対極なのだ。

  安いことは、毎日の家計に助かるが、安いものにはワケがある…?
  もし、生産者の血と汗と涙の上にあるとしたら?まず現実を知って、そして考えよう。

  「DAYS JAPAN」1月号「ファストファッションは地球を壊す」の記事も必見!


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